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The list of all Japanese Rush articles

Rhythm & Drums Magazine Jun. 1990

Interview with Neil Peart by 佐武加寿子(翻訳も)

At Seattle, WA Mar. 26, 1990

 
 

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僕はドラマーとしてとてもオーガナイズされているんだ

●これまでに、もう進歩はないと自分で感じるに到ったことはありますか?

NP: ある分野では、そうとも言えるけど、僕の目標も変わるから。僕はいつも自分の目標を控え目に置いているんだ。初めは、ハイスクールのダンス・パーティーでやりたいと思った。初めから大きなアリーナ会場でやりたいと言って始めたわけではなかった。小さい目標を少しずつ達成してきたんだ。だから、技術の追究は見られないと思ったら、その技術をもっと賢く応用することにした。それが現在の目標。より多くのものの演奏法を習得することではなく、もっとうまくそれを使いこなす方法を習得することなんだよ。ドラマーとして、というよりはむしろ、ミュージシャンとしての目標だろうね。25年もドラムをやってきて、もう演奏のしかたは長年習得してきたから、今は違う方法でそれをどう使うか、の習得に気を遣うようになってきた。作家だって、長い間、良い文章を書くことを習ってきても、そこで終わりというのではなく、ある意味では始まりだろう。書き方を覚えたら、今度はものを書かなければならない。小説を書いたり、話を表現したり、自分の望む作風を生み出すのに、いろいろ物事を考えなければならなくなる。ドラミングもそれとよく似ている。テクニック自体の習得には、僕にも先生がいて、方向を指し示してくれた。でも、この段階ではもう、人の力は借りないね。あるいは画家がいい例で、鉛筆画を習ったら、絵の具の使い方を学び、それができたら、もう教えられる人はいなくなる。後ろに立って、「そう、そこに花を描いて」なんて言うのは無駄というものだからね(笑)。そうなれば、自分自身がアーティストとなり、先生からは離れる。鳥が巣立って、自力で飛んで行くみたいにね。

●これまでを振り返って、あなたのドラミングのスタイルを理想に近づけたような大きな影響や発見は何かありましたか?

NP: 言わば循環連鎖のように、今もそれは続いているけれど、まず初期はジーン・クルーパがドラマーとして僕には大きく影響した人だった。彼は40〜50年代のビッグ・バンドのドラマー。ある意味では、彼は最初のロック・ドラマーでもあった。とても大きく派手な音を出す人だったし、いろんなトリックを持っている人だった。

●そうすると、小さい頃はそういうビッグ・バンドをよく聴いていたのですか?

NP: 聴いていたのは父で、僕は耳にしていただけ(笑)。でも、その手の音楽で育ったんだよ。その頃は、ビッグ・バンドの音楽をやっているクルーパのようなドラマーが世界一だったから、僕の出発点としては重要だった。現に、最初のドラム・レッスンは、先生がバディ・リッチやジーン・クルーパをやってみせて、「こういうふうにやるんだよ」って言い、ドラム・スティックを僕に渡して握り方を教える、という具合に始まったんだ。……それから、ロックン・ロールの時代が来て、僕が最初に好きになったのは、キース・ムーンだったと思う。それまでのロック・ドラミング自体は、全然何とも思わなかった。創意に富んで、よりワイルドになってくるまではね。それが、キース・ムーンと、それから後にキング・クリムゾンが出てきて、もっと複雑になってきた。初代のドラマーのマイケル・ガイルズと、キング・クリムゾンは、ロック・ドラミングがいかに洗練されたものになり得るか、ということで大きな影響を与えてくれた。今挙げたような人たちが、僕の転機を象徴しているね。その後にもたくさんいて、ビル・ブラッフォードもそのひとり。彼にはずっと長いこと影響されている。テクニックにしても、使う楽器にしても、彼はとても冒険好きだから。エレクトロニック・ドラムス全体、それからジャズやポリリズム、それにロックと多種の融合においても、草分けだよ。その他は、とても名前を挙げきれないほどたくさんいて、僕がのめりこんでしまうようなリズムを持ったレゲエ・ドラマーもいれば、同じように西アフリカの音楽を聴くのも僕は好きだ。そしてそれらの影響は、演奏にも入ってきていて、僕はロック・ドラマーには変わりはないけど、ビッグ・バンドのドラミングも随所にあるし、ソロの一部にはさっき言ったビッグ・バンドのホーンを入れてあって、それは僕がほんの子供だった頃の影響に遡るものなんだ。だから、今僕のやっていることは、これまでの人生における音楽的なインプットを記した日記か自叙伝のようなもの。今でもそのインプットは巡回していて、必要に応じて取り出される。たとえば「プレスト」のなかの「Superconductor」の、中盤のインスト部分でのドラム・ビートは、西アフリカのポップ・ソングなんだ。聴いた時には、とても西欧的で北米的なサウンドの曲だけどね。

●あなたにとって、良いドラマーというのは、どういう基準で決められるのですか?

NP: 想像力は大きな要素だろうね。テクニックの面での腕前というのは、僕にとってはかけがえのないもので、たとえば、よく「レッスンなんか受けたことはない」とか「練習したことはない」と言うドラマーも多いけど、それは表れてしまう。僕にとって、鍛錬や練習はなくてはならないんだ。でも、前にも言ったように、それだけで完了するのではなく、それは始まりに過ぎない。どんなスタイルの音楽にしろ、曲に相応しい、そしてそれにちょっと何かがプラスされている演奏をするドラマーがいい。それは想像力であり、細かい部分でのセンス、ただ拍子を刻むという役目を果たす以上に趣きを添えることだね。それから、僕はよく考えているドラマーの演奏を聴くのが好きだ。自分のパートについて考え、曲について考え、自分のドラム・パートと曲との繋がりを考えるドラマー。多くの場合、それが当てはまらず、ただ演奏しているだけ。どんなジャンルの音楽でも、考えて演奏する人がいいね。ドラマーの中には、目をつぶって浮かんできたものなら何でもいいという人もいるけど、それは真実ではない。無意識から生まれたのであれば、それは即興であって、やはりもっと考えなければならない。ドラマーはその時自分が何を演奏しているのか、どこへ向かっていくのか、そしてそれは何故なのかを考えなくては。凄いテクニックを持ったドラマーが、想像力に乏しくて、エキサイティングにはなれないこともある。テクニック以上のものが何もなければね。そういうドラマーが多いんだ。演奏のしかたはよくわかっているのに、何を演奏していいかわかっていない。そこに違いがある。ドラミングというのは、僕には、とても合理的なことなんだ。音楽全体も、すべて合理的だよ。明らかにね。とても感情的でもあるけど。ただ、演奏したいという気持ちは感情的ではあっても、いざ演奏の場になれば、深く考えなければ行けない。“味わい”と言われるものにしても、実は思考なんだよ。R&Bのドラマーなどで、その味わいで知られる人たちも、何がよく味わいを出せるか、と考えて生み出しているんだ。

●あなた自身が曲に取り組む時は、実際、どうやっているのですか?

NP: 自分の知っていることはすべてやってみる。テープをかけて、それを聴きながら、僕にできることを全部やってみて、合わないものを除いていく。だから、簡約の過程、言い換えれば削りとっていく作業になる。逆に、一番シンプルなものから始めて、それがうまくいけば、他のものを足していく、というドラマーもいる。僕は反対だから、それによって、実験的にもなるんだ。もしシンプルなものから始めたら、手堅い演奏になってしまうだろう。スタジオ・ドラマーは、周りが待っていて急がせるから、そうでなければならないけど。でも、このバンドに関しては、僕は自分で作業ができるし、誰の手も煩わせなくていいし、いろいろ試すことができる。最初の段階では、直感にとても頼っている。とにかく全部やってみるだけで、整えることは気に留めていない。ただ騒音を立てるだけ(笑)。それから自分の演奏したテープに耳を傾け、一生懸命考えるんだ。何がうまくいって、それはどうしてか、何がうまくいかなくて、うまくいかせるにはどうしたらいいか、を考える。僕は、ドラマーとしてとてもオーガナイズされているんだ。良いドラマーの資質としてそれを挙げなかったのは、他に人に対しては別に構わないから。だけど僕自身は気にするんだ。1曲すべてを丁寧に、精密に計画する。それが僕の思考の働き方なんだ。ドラマーすべてが必ずしもそうあるべきでもない。ただ、僕はそうなんだよ。最初の節のドラム・フィルは曲の最後と何らかの繋がりを持たせるようにし、すべてが秩序立てて連結するようにしている。

●同じ曲の中でも、少しずつリズム・パターンが違いますね。

NP: 同じことを二度やるのは嫌だからね。曲の基礎であってもいいと思える基本パターンは、いくつかあるけど、フィルとか、その他僕がリズム的にやっている変わったものとかは、繰り返したくない。「マンハッタン・プロジェクト」などはそのいい例で、それぞれの節はまったく違うのに、コーラスは同じになっている。「Scars」も、各節が異なるリズム・パターンを持ちつつも、それがすべて似ているから、聴く人を混乱させることはない。同じ拍子が根元にあるからね。僕が楽しめるようにパターンを違えることも大切なら、他のメンバーや聴衆を喜ばせるように滑らかにすることも大切なんだよ。

●ところで、ミュージシャンになるには、音楽そのものに対してどういった心構えで接するべきだと思いますか?

NP: 夢中でいること。まったくとりつかれてしまうこと。特に最初は、もう音楽以外何もないというくらいでなければいけない。僕が成長期に知り合った若いミュージシャンたちもそうで、僕たちには他に何もなかった。他のことには気もとられず、外で遊びたいとも思わなかったし、パーティーに行きたいとも思わなかったし、ひたすら音楽をやっていたかった。演奏をしていなければ、音楽について語っているか、音楽を聴いているかだった。習得期間を過ぎたら、音楽だけでなく、その他のことにも影響を受け、刺激を受けながら広がっていくんだよ。ひとたびバンドで演奏したり、曲を書き始めたりしたら、今度は他のインプットも必要になってくる。他のことも何も知らなければ、自分の言葉も退屈なものになってしまうからね。僕の場合は文学や絵画という、他の芸術にも興味を持ち始めた。そのかわり、音楽、音楽、音楽で、月並みな10代は送れなかった。だから、あるいは青春を諦めなければならないかもしれない。でも、その青春時代にずっと夢中だった音楽を続けていると、大概のミュージシャンが20代、30代になっても無邪気であるように、そのまま人より長く若さを保てるというのも見返りではあるよね。

●最初にラッシュに加入しようと思った時は、何を期待していましたか?

NP: 何も期待していなかったよ(笑)。若いミュージシャンが学ばなくてはいけないひとつは、何も期待しないことだね。なぜなら、最初にひどく失望してしまうから。ただ好きでやっているのなら、落胆することもない。将来どうなろうと、たとえ工場で働いていようと、音楽で楽しみを得ることはできる。それが、学校やバーで適当にならして、みんながレコード契約やら、レコード制作やら、コンサート・ツアーの話を持ってくるからその気になって、最初にもうガッカリさせられ、しばらくすると信じられなくなってくる。そして、もっと悟るようになるんだよ。「何が起ころうと、大丈夫だ」ってね(笑)。だから、その時も僕はただどうなるかやってみて様子を見ようと思っただけで、別に期待するようなものはなかった。

●それでも、オーディションに参加したからには、何かバンドに魅力を感じたのでしょう?

NP: うん、話をして、音楽的に同じような夢や目標を持っているようだったから、それが大きなきっかけだった。映画や本のことを話して、ユーモアのセンスが同じだとわかった。同じものをおかしいと思えるのは、とても大切なんだよ。それにしても、15年も一緒にいるとは誰も考えていなかったけどね(笑)。

●ドラムを通して表現したいのは何なのですか?

NP: ドラムにできるのは、基本的には鼓動だと思う。リズムだね。それが主なものだろうけど、それ以上にたくさんのものがある。でも、僕にはドラマーとリスナーとの間で何が違うのかはわからない。ドラマーのやっているものを聴いて僕が興奮するのが、僕自身がドラマーだからなのか、人はみんなそう思うのかはわからないからね。僕自身は、自分のドラミングを面白いものに、エキサイティングなものにしようとしてるけど、それがどうやって、どうしてそうなるのかはわからない。ドラミングとは、いろいろなアイディアを体現し、違う関連づけを見出し、違う影響力を持って、その違う影響力を違う枠組みの中に入れてみてどうなるか、であって、何かを表現しようというよりは探究していくという感じだね。歌詞はもっと表現力を持っているけれど、ドラムはリズムの探究というものであり、もっと時間に関わるもの。拍子は、細かく分けられた時間だから。つまりドラマーは、時をもて遊んでいるんだ。僕はドラムを表現の手段としてはあまり考えないね。空白のある曲があれば、それをどう埋めようか考えるだけだよ。

僕は神格化されたくないんだ。それは本当の僕ではないから

●これまで、ファンに誤解されていると思ったことはありますか?

NP: あるよ。歌詞が間違って解釈されて、ファンが自分のことを歌ってると思い込んでしまうこともある。あるいは、僕らが自分たちを不用意に外に出さないために、僕らのことを知らないファンは、こうあるべきだというように思い描いてしまう。でも、それは現実ではない。世間の目に触れる人、TVやステージで見られる人を人々はみんな神話にしてしまう。実際より誇大している。僕はそれがとても嫌いで、それと闘うために僕なりに手は尽くしている。ある種しかたのないものとして認めなければならないのだろうけど、一個人として、僕は認められない。だって、僕は本物の人間なんだから(笑)。僕にすれば、正確に言うと普通じゃないかもしれないけど、それでもやっぱり普通にハードな仕事をやっているんだよ。これまでにも本当はどんなふうなのか、ファンが読めるように文章でも書いているし、僕らはみんな、そういう神格化を避けるためにできるだけの抵抗はしてきているんだよ。

●日本でも、やはりあなたを聖人や、あるいは神のように見なしている向きがありますが。

NP: (笑)そう言われても…、どうすればいいんだい?DOGじゃないかな、GODを逆さにして(笑)。……そういう感じで、困るんだよ。それは、本当の僕ではないから。僕はそういう役目はしていない。ここへだってリムジンで来たのでもなく、自転車で来たんだ(注:彼は、前日、前の公演地であるポートランドから、約250kmの道のりをひとりで自転車をこいでシアトルに着いた)。そこの違いだよ。だけど、それは僕の選んだことじゃなくて、人々が考えることだから。僕はそんなふうに言ったわけじゃないし、そう振る舞ったりもしない。みんなが理想とする僕の姿なんだよ。中にはそういう人の目によって、自分が崇拝されているかのように混乱してわからなくなってしまうミュージシャンもいる。そうしてドラッグやアルコールに溺れてしまったり、疎外感に麻痺してしまう。ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズが書いていたようにね。

●あなたも以前、「ライムライト」で書いていましたよね。

NP: そう、「ライムライト」もそうだし、あと「Superconductor」も、そういうイメージを創りあげることと、それによる犠牲者のことについて取り上げている。今のライブでも、あの歌の時にはマリリン・モンローやエルビス・プレスリーなどの、その犠牲者のフィルムを映し出している。それから、あの歌は、観客に媚びて自分をアイドルに仕立てあげる大道芸人のことをも歌っているんだよ。僕自身は、エンターテイナーではなく、ミュージシャンで、ドラムを叩いているだけだから、そこは違うと思ってる。もっと現実的なものなんだよ。

●それでは最後に、あなたの音楽活動においての最終的な目標とは何ですか?

NP: 生き残ること(笑)。「マラソン」の中に“First you've got to last”という箇所があって、これは誰にもあてはまることだけれど、特にアーティストにとっては言えることで、何か良い作品を生み出そうと思ったら、まずそれをするために残らなければいけないということ。生き残らなければならないんだ。さっき話したような、ドラッグの常習や自分に壁を作ることでおしまいになってしまう、業界の犠牲者になってはならない。だから、そういうことを避けて生き延びて、誇りの持てる、人間として関わりを持てる誠実な仕事をしたいと僕は思う。それが、“生き残ること”の一部。だけど、僕たちはいつも目先の目標というのもあって、向こう5年でなく、1年単位で考える。次のアルバムにしても目標であるし、15年前には、1990年のことなど考えず、1976年のことを心配してた。それこそが現実的な考え方であり、ミュージシャンに限らず、どんな人にも言えることだとも思う。バンドとしては、このツアーをあと半年続けることも一番近い目標であり、これを達成するのも容易ではない。毎晩がチャレンジであって、ひとつひとつのステージが目標でもある。だけど結局、自分自身として、外界から疎外されることなく生き延びることが、長い目で見た目標だね。

 
 

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