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The list of all Japanese Rush articles

Rhythm & Drums Magazine Jun. 1990

Interview with Neil Peart by 佐武加寿子(翻訳も)

At Seattle, WA Mar. 26, 1990

 
 

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新作のドラム・パートはシンプルに聞こえるが、演奏するのは前より難しいんだ

●これまでのところ、ツアーは如何ですか?

NP(ニール・パート): うん、ようやく6週間くらいだけど、うまくいってるよ。

●前回の“ホールド・ユア・ファイアー”ツアーとステージで違っている点は?

NP: 僕たちはどんな点においても今までのものを取り払って、変化をしようと決めた。80年代からの続きというよりは、90年代のラッシュのツアーというつもりでやろうと決めたんだ。演奏する曲にしても、演出、サウンド、照明、ステージングにしても。それから僕のドラムスの色もね。フレッシュなスタートにするためでもあったし、バンドを活気に満ちた音楽集団として維持する上でやりたいツアーだった。

●『プレスト』のレコーディング自体とも何か違いがあるのですか?

NP: うーん、曲の演奏法という点ではかなり近い。レコードは完璧だから、僕らはそれを目標として見ているんだ。スタジオの中では、技術的な面でも、演奏はすべてコントロールできるから。だから、僕たちよりも、つまり人間よりも、より完璧になるわけだ。そしてライブでも、僕らは曲をレコードでそれと同じようにうまくやろうと目指しているんだ。だからかなり似通るようになる。自分では曲のちょっとした節や、リズムのひねりが、ツアーが進むにつれ、レコードよりも少しばかり良くなっているのがわかったりするから、細部は変化するけれど、聴く方にはその違いはわからないと思う。観客には、できるだけレコードに近いサウンドに聞こえるようにしたいんだ。

●ステージでのドラム・セットも、前回とは何か違っているのですか?

NP: いや、ドラム・セットは同じだね。全部違う色に塗られてるだけ(笑)。見かけは変えたかったんだけど、セット自体は変えたくなかった。というのも、未だに音が気に入ってるし、気楽だから。ちょっと古いけど、チューニングはより良くなってくるし、扱いやすいから、そのままでいこうと思ったんだ。色にはいつも悩むんだよね。自分の部屋みたいなもので、その、自分のムードを作り出すように壁の色を選ぶわけでしょう?僕にとっては、ドラム・キットは仕事部屋であり、僕を取り巻くものでもあるから。

●以前、ピンクのセットもありましたね?

NP: そう、前回のツアーではね。それもやっぱり、前とは違うものにしたかったから。色としては赤がエキサイティングだから好きだけど、同じものにはしたくなかったから、何か違うものを捜していたんだよ。ただの黒も嫌だった。それで、今回は紫っぽい、プラムの色にしたんだよ。

●ドラム・ソロについて何か変化は?

NP: いつだって変わるし、実際その晩ごとにだって違うものだからね。でも、ひとつの骨組みの中に在ることには変わりない。歌や物語みたいなもので、そこにはひとつの体系があるんだ。同時にその体系は限定されていて、その間の断片は、いつもただふっと湧いてくるものなんだ。基本的には、『A SHOW OF HANDS(邦題:ラッシュ・ライブ〜新約・神話大全)』でも聞かれるように、“ホールド・ユア・ファイアー”ツアーのために真新しいソロを組み立てたから、今回はすべてを一からやり直したのではない。断片を取り出してそれを違うふうにごちゃまぜにして、長いことやってきたことはいくつか除き、一番新しいものだけで始めることにしたんだ。だから、今回のツアーで新たにやったことはそのままで、それより昔のものを投げ出して、このツアーのために全体を組み直したんだよ(注)

(注):前回のツアーで新たにやったことは‥‥の誤植と思われる

●またホーンの音も使っていますね。

NP: そう、ビッグ・バンド・ホーンね。

●その部分は、客席の中央上あたりに釣ったスピーカーから出していますが。

NP: そう、前回のツアーではやってなかった効果のひとつだよ。今回は前と違うサウンド・システム、違うエンジニアなんだ。

●曲をライブにアレンジする時に特に難しいことはありましたか?

NP: いや、そうでもないね。テクノロジーがとても発達してくれてるから、3人編成であることや自分たちにできることの限界を感じ始めると幸運なことに、その都度、新しいテクノロジーが現れて、僕らがもっと高度なことができるようになるんだ。だから、それほど問題ではなかった。

●レコーディングでも、あなたはオーバーダブをしないんですよね。

NP: 個人的にはね。バンドとしてはやっていても、それもやはりデジタル・サンプリングなどでライブでも再現できるから、さほど困らない。

●ニュー・アルバムは、よりシンプルで、ベーシックなサウンドになっているようですが。

NP: うーん、そう聞こえるだろうけど、実はテクニック的にはシンプルでもない。おそらく表現はもっと簡潔に為されているだろう。でもドラム・パートは、僕にとっては前より演奏しにくくないなんてことはないし、さらに難しくさえなっていると思う。きちんと整えようとして、曲に見合うもの、特定のリズムの流れに合うものを選ぼうとしたから、感覚として他の作品とはちょっと違っていた。みんなには聴きやすいと思ってほしいけれど。

●それでは、シンプルに聞こえるだけ、と。

NP: それは根本的なプロ気質でもあると思う、簡単に見えるようにするというのは。とても難しい演奏をして、それでいて簡単に見えれば、それは名人のしるしだよ。レコードでも同じで、サウンドがシンプルに聞こえるのなら、それは凄いこと。でも本当はシンプルじゃないんだよ(笑)。

●新作は、長い期間を置いて作られたわけですが、もっとリラックスしようと意識したりしましたか?

NP: リラックスはしていただろうけど、そうしようと努めたわけではないと思う。曲作りの時も、僕たちはいつも結構リラックスしてるんだ。楽しいひとときだからね。自分たちのやってることに集中しているし。そしてそれがうまくいって、リラックスした気分でいても、必ずしもその気分が影響したりするのかはわからない。スタジオ内でも、自分たちの間にはそんなに緊張感はないよ。仲がいいからね。多くのバンドはそうでもないみたいだけど。音楽的なことでは口論もしないし。それは、ルパート・ハインやピーター・コリンズのように、メンバー以外の人を共同プロデューサーとして起用することが、僕たちには大切だという理由にもなっている。僕たちの意見が一致しないようなことがあっても、誰か他の人がいて、意見を出してくれて、「うん、いいんじゃないの」と言ってくれたりするからね。外部の人間をプロデューサーに迎える主な理由は、人は僕たちに教えてくれるから。曲についても未だに人から学ぶことがあるし、他の人の方が自分たちより客観的になれるから。内に入り込むと、僕たちは曲をとても好きになってしまって、もう、ひとつの曲としてはっきり見ることも、聴くこともできなくなってしまう。だから、誰かに来てもらう。すると、よく建設的に批評してくれて、「これでもいいけれど、こういうふうにしたら、もっと面白くなるよ、ああしたら、もっとダイナミックになるよ」という提案もしてくれる。それが僕たちにはとても貴重なものなんだ。自分たちが何でも知っているとは思わない。他の多くのバンドのように、自分たちでプロデュースすることもできるだろうし、その方法も知ってはいる。でも、誰か信頼のおける詳しい人、特に音楽的な知識とセンスの豊富な人がいれば、僕たちはそれをとても貴重なことだと思う。

●それでもバンドの名前がプロデューサーとしてクレジットに並ぶというのは、100%他人に頼ることはできないわけですか?

NP: うん、とても危ないからね。誰かをプロデューサーにして、それでピリオド、ということにはちょっと神経質になってる。ライブ・アルバムはまた別で、テリー・ブラウンにすべてやらせたこともあったけど。

●それでは、『プレスト』の方向に展開したのはどうしてなのでしょうか?

NP: それは誰にもわからない(笑)。僕たちのやり方というのは、計画してやるわけじゃなく、曲を作り始めて、気に入ればその曲を続けるし、気に入らなければとっておくだけ。僕たちにとっては、それがとても自然なやり方だし、とても本質的なプロセスになってる。1曲がうまくいけば、次にとりかかる、という具合に。自分たちが何を狙っているのか、全部の曲を通しての感じとかはわかっていない。だから、バンド以外の人がレコード全体について判断する方が易しいと思う。僕たちには、“レコード全体”ではなく、11の曲だったから。

●今回、レコード会社の移籍で、何か変わったことはありましたか?

NP: いや、音楽にはもちろん何も影響はない。レコード会社は、レコードの制作にはいずれにしても何も関係ないよ。あっちは口を挟みたがっているかもしれないけどね(笑)。スタジオには招かないし、音楽とビジネスの間には線があって、僕はそれを越えることはしない。僕がレコード会社にどうやったら売れるかと言いに行ったりしないように、向こうにスタジオに来てレコードの作り方を教えてもらいたいとも思わない。基本的にはアトランティックは、僕たちを獲得するのに熱心だったし、自分たちのためになってくれると思ったから契約したんだよ。

僕たちの曲作りのプロセスは、演奏よりも話し合うことなんだ

●さて、曲作りの話になりますが、作詞と作曲の手順はそれぞれに為されているようですね。どの程度、メロディを意識しているものですか?

NP: 自分で想像はしてみる。ただ歌詞を書くにしても、枠組として使うように(メロディを)作ってはいるけど、それを他の2人には伝えない。詞に満足したら、彼らに見せて、彼らの提案を聞いて、また戻ってそのアイディアを組み込む。メロディや構成については話し合う。詞を前に僕たち3人で、どんな形にして、どんな雰囲気にしようか、どんな符割りで、どんなコードにしようかを話し合う。基本的にはゲディとアレックスに任せて、彼らがそれに取り組む。そうしてその日の夜、2人が僕に演奏してみせるんだ。そこで、また同じように、今度は僕がコメントして、彼らがそれを組み入れたり、入れなかったりして、また話し合う。僕たちというのは、演奏するよりはもっとよく話し合うね。それが実際にプロセスになる。だから、歌詞にとりかかっている時も、僕の頭の中には音楽的なアイディアもあるんだ。歌詞は歌になるために書かれるわけだから。その段階でさえ、ゲディには教えられることが多い。紙に書かれた時には見事な詞の一節も、歌うには良くない、つまり歌うには適した響きを持っていないということもあって、ゲディがそんな評をすれば、僕はもっとボーカル的なアプローチという意味で、その歌詞をもっと音楽的にしようとするんだ。

●ゲディやアレックスと話し合った後で、あなたの詞が変えられることもあるのですね?

NP: そう、そのとおりだよ。喜んでそうするし。詞を持っていくとしても、僕にとっては、歌になるまでは仕上がっていないものであり、ただのアイディアにすぎないんだ。特にゲディは歌詞を歌わなければならない立場だから、よく彼にはいいアドバイスや提案をもらう。それに対して僕が「そうだね!」と興奮することもある。で、彼の提案を持ち帰ってまた手直しをして、よりその詞が気に入ったりもするんだ。そこには彼のインプットと手助けがあるわけだから、お互いにもっと満足のいくものになっていると思うんだよ。

●逆に、あなたの詞のためにゲディがメロディを変えることもあるのですか?

NP: ほとんどは詞の方が先だね。枠組みだから。ここが最初のフレーズで、ここがコーラスで、というように、1曲の歌として見る場合、その方が楽だから。そして、特に歌詞の雰囲気、時には曲の構造にも相応しいメロディを仕立てる。そこでフレーズに分けたりする作業が生まれてくるんだけど、メロディの方が本当によくて詞の一節がどうしてもはまらない時には、僕がその部分を変えたり、取り除いたりする。確定しているものは何もないんだ。厳格な手順があるわけじゃない。とにかく一番いいものを選ぶだけだよ。

●リズムについてはどうですか?

NP: 時には、テンポが頭の中にあって、ゲディが歌詞を読んでフレーズ分けしている時に、僕の伝えたいことがわからない時は、僕が僕なりに速さやフレーズ分けを説明もする。それが閃きとなって、他の2人が考えていたことが変えられることもあれば、少なくとも彼らに方向性やある一定のテンポを提供できることもある。あるいは、彼らがドラム・マシンで使ったパターンを僕が聴いて、「もっと速くした方がいいと思う」と言ったりもするし、ここでもやっぱり法則はないんだ。どんな作業をやっていようと、自分たちの間でフィード・バックしあっている。2人がドラム・マシンでやったことに僕が刺激を受けることだってあるよ。彼らからリズムのアイディアを得たりする。特にアレックスは、ドラム・マシンをギタリストのように見立ててプログラムするから、時々、ドラマーの見方から言うとまったくクレイジーだということもあるけど(笑)、それもチャレンジになって、僕も「うん、やってみるよ」と言ったりするんだよ。だから、僕にとっては、ドラム・マシンは脅威ではなく、僕が普通では開拓しないような方向をもたらしてくれる、本当に優れた道具でもあるんだ。

●しかし、そういう作業の過程では、不可能を可能にしなければならないこともありませんか?

NP: そう。たとえば「Scars」の彼らの最初のデモ・テープには、全種類のシンセ・パーカッションを入れてあって、ドラムスの他に、コンガや何かのパーカッションをやる人間を1人入れようか、という話し合いもした。僕はその考えにも興奮したんだけどね、別のドラマーと作業するみたいな感じで。だけど、もう少しよく考えて、「自分で全部やってみたらどうだろう?」って思ったんだよ。それでエレクトリック・パッドやサンプリングで、自分のできる方法を編み出した。簡単ではなかったよ(笑)。だけど、すごく時間をかけてあらゆる違ったリズム・パターンを「Scars」のために作り、別のパーカッショニストを入れなくても充分なところまできたんだ。僕が全パートをひとりでやってしまったから。

●他にも、「Show Don't Tell」で、ギターとベースの変則リズムにドラムをはめるのに苦労したと、ある記事で読んだのですが。

NP: そう。ぴったりくるパターンを見つけるのが難しかった。だけどそこでもまた話し合って、シンプルに聞こえるようにしたんだ。あの曲をあとで聴いても、そんなに複雑には聞こえないし、演奏するにしても、ものすごく難しいわけではない。他のドラマーが覚えて叩いてみても、難なくできるだろう。それは人のギター・ソロは覚えて弾けるけど、自分自身のソロを作り上げることはまた別物だというのと同じ。僕はもう、何時間も何時間もかけていろいろなものを試して、あのギターとベースのリフにうまく合う組み合わせを見つけ出そうとしたんだ。結局はそれを見つけ出したけど、あれは小さなパートがみんなまとまって、全体は継ぎ目もなくスムーズで、比較的シンプルに聞こえる、言ってみれば相互作用のようなもの。そこへ行き着くのは、とても厄介だった。

●他の2人とは長い間組んでやってきていますが、歌詞とメロディ、リズム・パターンを結び付けるのに、やはり困難なこともあるのですか?

NP: いや、困難というよりは、チャレンジだね。アレンジなんかで困ることはあるけど、それは解決するもので、それによってワクワクはしても、怒ったり、欲求不満になったりすることはない。

お箸を持ってそこらをガンガン叩いてた。それが僕の最初のスティックだよ

●このへんで、一ドラマーとしての話に移りますが、あなたの観点では、良いドラマーには何が必要でしょうか?

NP: 難しい質問だね。まず、とにかく練習は必要、他に献身、想像力、それに個性、これは大きな部分を占める。世界一うまいドラマーであったとしても、誰も仕事をくれないんじゃ、どうにもならない。だから、強烈な個性と同時に好ましい個性が絶対、根本的に必要なものだね。でも、それはとても長い過程であって、僕も20年かかって、ようやくほどよく演奏ができるようになったと感じ始めたくらいだから。

●“ほどよく”ですか?

NP: そうだよ(笑)。それでもとても時間がかかるものだよ。学ぶことは山ほどあって、本当に良いフィーリングで、しかも正確に1曲通して演奏ができること、これはとても基本的だけれど難しくて、そういったテクニックの微小な点を進化させるのには、何年もかかるものなんだ。最初に、あるパターンを覚え始めた時からして、すごく長い間を要するし、両手、両足が別々に作用しながらも、ひとつのリズム・セクションとしてお互いに関連ある動きをするよう覚えようとするならば、そこでまた時間がかかる。そして自分のテクニックに生かしたいサウンドや自分がどんなタイプのドラマーになりたいか、どんなタイプのバンドに入りたいかを選ぶのにも、なんにしてもとにかく長い期間、かかるものなんだよ。最初から「よし、これをやるぞ」「あれをやれば、こうなるからこういう音楽をやろう」と決められるものではない。そんなことはみんな謎でしかないとも言える。最初に一対のドラム・スティックを手にした時には、ただそれで何かを叩きたいだけなんだから。それから後に、もっとずっと複雑になっていくんだよ。でもその複雑さというのも、そのドラマーごとに違ってくると思う。自分の入れ込んでいる音楽、最初に演奏し始めた時に聴いているものはとても大切だ。ファンとして好きな音楽は、たぶん自分でも演奏したい音楽にもなってくるだろう。しかし、それは一部分ではあっても、まだ終わりではない。僕はロック・ミュージックをやるのが好きだけど、ジャズ・ドラマーからも学んだし、レゲエ・ドラマーからも学んだし、アフリカン・ドラマーからも学んで、それは自分の一部になっている。それでも僕は自分をロック・ドラマーと呼ぶんだからね。

●あなた自身のことで言えば、最初にドラム・スティックを手にしたのは何がきっかけだったのですか?

NP: 箸一膳だよ(笑)。本当の話。お箸でそこらの家具をガンガン叩いてた。それが僕の最初のドラム・スティック。それで両親が困って、僕にドラムのレッスンを受けさせたんだよ。家具を叩くのなら、ちゃんと演奏のしかたを教わった方がいいと思ったんだ。

●それが本当の話なら、中華料理や日本料理をよく食べていたわけですね?

NP: うん、その頃は中華だったね(笑)。

●そうして、プロになろうと思ったのは?

NP: うーん、それもなろうと決心したというのではなくて、最初はただドラムをやりたい一心でレッスンを受けて、練習に練習を重ねて、というだけだった。そのうち、同年代で演奏したがっている連中を見つけて、一緒に曲をやろうとしてみたりした。そこからまた違うバンドに入って、もっと真面目に取り組んでいろいろ覚えたこともあったけど、僕としてはそんなにプロになることは気にかけていなかった。もしも、音楽で生計を立てられるけど、好きでもない音楽をやらなければならないのと、音楽以外のことで暮らしを立てながら、自分の好きな音楽をやっているだけという選択を任されたら、僕は後者を選んで、違う仕事に就いただろう。くだらないものや、人に言われたものだけを演奏するのは嫌だったし、僕は僕のやり方で演奏したかったから。そういう意味では、僕はとても我が儘だった。音楽で生計を立てるかどうかはどうでもよかった。僕にとっては少しも重要なことではなかった。昼間は別の仕事をして、夜はバーで演奏するのでも、自由があるなら、その方がもっと大切だった。ドラマーの中には、暮らしていくことこそが大切で、カントリー・ウェスタンをやろうが、ポルカをやろうが、トップ40のヒット曲をやろうが、それでドラマーとして食べていければいいという人だっている。でも僕にはそれは理解できない。そこはミュージシャンの価値観の根本的な違いだと思う。

●なぜ、他の楽器でなくドラムスを選んだのですか?

NP: 物を叩くのが好きなんだろう(笑)。自分でもわからないけど、リズムが魅力だったんじゃないかな。音楽は常にそこにあるけど、必ずしもミュージシャンになろうと思わせるものではなく、多くの人はファンのままで、人生の半分を音楽の練習に費やすなんてことはしたがらないものだよね。だから、そうやって身を呈して夢中になるというのは、どこか他のところに起因するのかもしれない。そもそもスティックで物を叩くという物理的な部分が僕の興味をそそったに違いないけど、曲を聴き始めた僕は、その曲のリズム面、ドラマーがやっていることを理解できた。手足の関係、ドラム・セットの音の違い、そういったものがすべて僕には理にかなっていると思えた。だから好奇心を覚えて、学びたいと思ったんだ。さっきも言ったように、僕が要約しようとしているのはとても長い期間のことで、これという答えを出すのは難しい。すべては段階を追って、少しずつ、少しずつ進んだものだから。ゴム製の練習用パッドに始まって、スネア、2つのドラム、シンバルが1つ付いて、というように、僕の心も同時に成長し、変化してきた。すべてがそうやって長いプロセスを踏んできたものであって、10歳の時に「有名なドラマーになるんだ」と決心したというような人間ではなかった。今までもそう決心したことはなかったし、未だにそんなことを心に決めてはいないし(笑)、望んでもいない。最初は(ドラムを)やることが大事で、その後はもっとうまくなることが大事になった。何年もの間、そして今でも、腕を上げたいがために、叩きたいと思い続けているんだ。

●今でもそうなんですか?

NP: もちろん。違うふうにではあるけれど。テクニックの応用という意味で、たとえば『プレスト』は、ドラミングから言えば、よりアイディアを“使う”ことに傾いたものだった。以前のアルバムでは、多くの場合、アイディアを“抱えている”だけだった。今は、テクニックの面では、僕はできる限りのことはかなり練習してきたから、それをいかに使うかをもっと覚えなければならないと思っている。曲を聴いても、何がどうなるか、自分で計画を立てる。テクニックを使うことに関しては、とても方法論的だね。僕は未だにどの曲も演奏しにくい、挑戦的なものであってほしい。特にツアーでは、ただステージに上がって、楽々やってのけてしまうようなことはしたくない。そういうところは意識しているね。かと言って、それぞれの曲が、僕が演奏法を知っているすべてのことを記録するものになる必要はない。とにかく僕のパートができるだけ曲にはまって、かつ音楽的であればいいと思っている。

PAGE 2 に続く

 
 

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