first notebook 《朝の昇降口》


僕の小学校時代を振り返るとき、どうしても避けて通れないことがある。
自分以外の人からは、想像もできないようなことを、かつて、僕はやってしまった。
これまで、誰にも話さず、自分の中に閉じこめてきた真実を、今、あなたに打ち明ける...

5年生の頃。僕は友達の男子と二人で、メダカの水替え係になっていた。
重い水槽を手洗い場まで動かして、水を替えるという仕事は、思ったよりも時間がかかるので、 僕たちはいつも、みんなが登校する前の早朝に学校に来て、仕事をすることが多かった。
そのころ僕には、好きな女性がいた。あえて「女性」と書くのは、「女の子」との初恋というような、 ほほえましくて切ない、甘酸っぱい恋では決してなかったからである。
生やさしいものではない。陰湿で卑怯で、変態な片思い。
僕が最初に異性として意識した女の子は、1年先輩の6年生だった亜衣さんだった。
彼女は、僕の家のそばに住んでいたが、学校以外で顔を合わせたことはほとんどなかった。
それでも、通学団集会のときにはいつも、彼女に会うことができた。
僕は彼女と面識があったわけでもないし、結局1回も話をすることのないまま終わった。
でも、僕は彼女と話がしたかったわけでもないし、ましてや彼女にしたいなどとも思ってはいなかった。
ただ遠くから彼女を見て、かわいいな、綺麗だなと思うだけで良かった。
それも、相手と視線が合わないように、チラッ、チラッとカンニングでもしているかのような見方で・・・。

この時にはもう、オナニーの仕方も覚えていたわけだが、彼女を「おかず」にすることは決してなかった。
僕の中に生まれ始めていた性欲という悪魔は、その代わりに、もっと変態的な快感を求めていたのだ。

ある時、僕たちに昇降口の掃除当番がまわってきた。
昇降口には、下駄箱がある。僕たちの分担場所には、偶数学年の下駄箱があった。
そのときまでに僕は、亜衣さんのクラスを突き止めていた。
小ぼうきを持って掃除をしているふりをしながら、彼女のクラスの下駄箱を、舐めるように眺めてゆく。
あった。
「**** あい」というシールの貼られた下駄箱の、その中には黒色の靴が入っていた。
それは、明らかに「女性」の靴だった。見るだけで、何とも言えないエロチックな気分が高まる。
近くには友達がいる。当然、そこで何らかの行動を起こすことはできない。
僕は、その下駄箱のある場所をしっかりと記憶して、真面目に掃除を再開した。
そして、チャイムが鳴った・・・

次の日、僕は「メダカの水替えがあるから」と言って、朝早く、母の車で学校に行った。
時計は7:30を少し回ったところ。通学路にも、校庭にも、そしておそらく校舎にも、誰もいない。
いつも一番早く登校する人でも、あと30分は来ないだろう。さて・・・
僕は、南館の昇降口へと回った。5年生の教室は、北館にあるというのに。
そう、昨日掃除していたところへ、僕は向かったのである。もちろん、あの下駄箱を目指して。

昇降口は薄暗くて、ひんやりと寒かった。
誰か来ないかと、異常なくらいに気を遣う。ぞくぞくした。
前に立った。そこには、黄色に縁取りされた白い上靴が1足、置かれていた。
「****あい」。
僕はもう一度、周囲に誰かいないか確認すると、その上靴を手に取った。
履き古されてゴムの部分はよじれ、かかとの部分は踏まれてぺしゃんこになっていた。
「これが、あの子の上靴なんだ・・・」
鼻に近づけてみる。それを押しつけると、強い生ゴムの臭いとは別のにおいが、はっきりと感じられた。
寒かった。本当に、ぞくっとした。太陽の光がほとんど射し込まない昇降口の中で、誰もいないその闇の中で、 僕は女の子の上靴のにおいを嗅いでいる。
(いま現在でさえ、このとき誰かに見つかっていたら、と考えるとその後のことが想像できない)
急に恐くなって、僕は一瞬ののちに、その上靴を下駄箱の中へと押し戻した。
あのときのにおい。二度と体験することのできない、今となっては心の奥底の思い出である。



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