輝国山人の韓国映画
<Home>へ
1931年 9月24日 インチョン(仁川)で出生 個性のある演劇俳優パク・チョンジャは実弟 キョンドン高等学校を卒業 ヨンセ(延世)大学校商科を中退 1940年代後半 新劇協議会の研究生をはじめ,演劇界で活動した。 1950年 国立劇場で演劇をした。 1955年 避難地テグ(大邱)でシン・サンオク監督に会って映画界と縁を結んだ。 <夢> 演出部 1956年 <ヘジョン(海情)> 監督デビュー作 同人制(団員すべてが劇団に対する権利と義務を負う運営方式)で演出 1958年 <薔薇は悲しい> 1959年 <浪漫列車> シネマスコープサイズの白黒映画 1959年 <追憶の首飾り> 1960年 <モサン(母像)> 1961年 <私の青春に恨(ハン)はない> 1962年 <山の新婦> 1962年 <家族会議> 1963年 <飲み屋の娘> 1963年 <トスニ 幸福の誕生>
以後,フィクション映画に懐疑を感じてドキュメンタリー映画を穿鑿した。 記録映画は,26編演出した。 1964年 <うちの母さん最高> 1964年 <別れだけは悲しかったよ> 1964年 <青春は喉が渇く> 1964年 <ケドン(桂洞)若奥様> 1965年 <非武装地帯> フィクションが加味されたノンフィクション映画として,世界で初めて 非武装地帯(DMZ)にカメラを持ち込んで撮影を試みて注目を浴びた。 子どもたちの視線で分断の悲劇を探求した。 1966 第13回 アジア映画祭/ノンフィクション部門 グランプリ 1967年 <解放っ子> 1967年 <南男北女> 1967年 <胸痛く> 1968年 <おしゃれな人お嬢さんたち> 1969年 <シデク(媤宅:婚家)> 1971年 <チプセギを履いてきたよ> 興行的に失敗した作品 この作品以後には,明確な活動がない。 2006年 4月3日 死去 [監督作品]
制作年 | 作 品 名 【原 題 名】 |
---|---|
1956 1958 1959 1959 1960 1961 1962 1962 1963 1963 1964 1964 1964 1964 1965 1967 1967 1967 1968 1969 1971 |
ヘジョン(海情) 薔薇は悲しい 浪漫列車 追憶の首飾り モサン(母像) 私の青春に恨(ハン)はない 山の新婦 家族会議 飲み屋の娘 トスニ 幸福の誕生 うちの母さん最高 別れだけは悲しかったよ 青春は喉が渇く ケドン(桂洞)若奥様 非武装地帯 解放っ子 南男北女 胸痛く おしゃれな人お嬢さんたち シデク(媤宅:婚家) チプセギを履いてきたよ |
[最終更新] 2017-01-05