輝国山人の韓国映画
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1925年 出生(本名:シン・テソ 신태서 申泰瑞) 咸鏡北道 チョンジン(清津)で,父シン・ビョンヨンと母キム・ ボンソンの3男2女中末っ子として生まれる。 咸鏡北道 フェリョン(会寧)でしばらく幼児期を送った。 その後、咸鏡北道 キョンソン(京城)でしばらく幼年期を送った。 シン・サンオクという名前は,映画を始めた頃から使うようになっ た。 漢方医師である父のおかげで比較的裕福な環境と家族の黙認の下, したい放題の自由奔放な青少年時期を送った。 家の近所にソファ(昭和)館という劇場があって,普通学校時期 から並みはずれて映画に関心を持った。 自叙伝によれば,家の近所の映画館に居間のように出入りして, ナ・ウンギュの映画からチャップリン,いわゆる<チャンバラ>と 呼ばれる日本のサムライ映画,グリフィスの映画を片っ端から見た という。 故郷でチョンマ普通学校とキョンソン(京城)高等普通学校を卒業 1944年 日本に渡って東京美術専門学校(現在の東京芸術大学)に入学 この当時,主に見た映画は,マルセル・カルネ,ジュリアン・デュ ヴィヴィエなどのフランス作品であったが,この作品が,それから の自分の映画的雰囲気や感覚に大きな影響を与えたという。 1945年 4月 日本 東京美術専門学校を中退 帰国し,兄シン・テソンの勧誘で高麗映画社の美術部に入って,映 画ポスターを描いたり,セットを作る仕事をする。 この時,ホン・ソンギ,チョン・チャンファも一緒に演出授業を受 けている。 1946年 この会社で制作した<自由万歳>(1946)のスタッフ(美術)として, チェ・インギュ(崔寅奎)監督の演出部で仕事をする。 1948年 <希望の村>(チェ・インギュ監督) 美術監督デビュー 1948年 <独立前夜>を最後にチェ・インギュから独立し,自分の映画を演 出するための準備を始める。 1949年 <女性日記>(ホン・ソンギ監督) 美術監督 1949年 <波市(パシ)>(チェ・インギュ監督) 美術監督 朝鮮戦争勃発後,映画芸術協会という制作会社を起こして自分が脚 本を書く。 朝鮮戦争中は,テグ(大邱)の空軍本部の政訓監室空軍撮影隊に所属した。 1952年 <悪夜> 監督,脚本,撮影,編集,制作 監督デビュー作(26歳) 娼婦を愛する文学青年の葛藤を描いた写実主義的傾向の映画 韓国映画の新しい可能性を見せた作品という比較的良い評価を受 けた。 (主演:ファン・ナム,ムン・ジョンスク) 1953年 シン・サンオクプロダクションを設立し,映画制作から輸出配給業 にまで手をつける。 1954年 <コリア> 監督,編集,制作 古代から現代に達する韓国の歴史を紹介した海外広報用文化映画 チェ・ウニを初めて俳優として起用 1955年 ピョン・スンジェなどとソウル映画公社を設立 1955年 <若い彼ら> 監督 挙事を企てたが意図を成し遂げられず,明日を期する男装美人 (チェ・ウニ)を描く。 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=nudVteZ0Roc 1955年 <夢> 監督,脚色,編集 イ・グァンス原作の歴史劇で,女について破戒したチョシンとい う僧(ファン・ナム)を描く。 1957年 <無影塔> 監督,制作 三層石塔を建てることに没頭するが,愛するアサニョの死を迎え ることになる石工アサダル(ファン・ナム)を描く。 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=1FCUua7YKJE 1958年 <地獄花> 監督,制作 娼婦(チェ・ウニ)と愛するヤンキー物品商人(キム・ハク)が 異常な金儲けに陥って警察に追われ,女性とともにドブに墜落し てみじめな最後を終えるという内容の映画 この映画は,当時,大きな注目は浴びなかったが,シン・サンオ ク作品世界の別の容貌を見せる作品として1990年代以後に再発見 された。 1958年 <ある女子大生の告白> 監督,脚色 不遇な環境の中で法学を専攻して弁護士になった女主人公が,女 性囚人を弁護する間,自分の過ぎた日と似ていることに気づいて 自らを贖罪し,涙で善処を訴えるという内容で,ソウルだけで10 万の観客を動員するなど,興行に大きく成功して跳躍の踏み台を 作る。 1959年 5月 女優のチェ・ウニと結婚 1959年 <姉妹の花園> 監督,編集,制作 1959年 <椿姫(チュニ)> 監督,撮影 1959年 <その女の罪ではない> 監督,脚本 殺人未遂事件の被害者である女性が,自分の過去と事件の全貌を 告白して,それしか方法がなかった理由を陳述,無罪が立証され る結末を見せてくれる推理劇形式の映画 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=PiEk2DFNmAU 1959年 <独立協会と青年リ・スンマン(李承晩)> 監督 1959年 <同心草> 監督 娘の望みどおり愛する男(キム・ジンギュ)をあきらめて守節の 道を選択した未亡人の話 1960年 <ロマンス・パパ> 監督,制作 キム・ヒチャンの人気ラジオ放送劇を原作にした作品 1961 第4回 釜日映画賞/最優秀作品賞 1960年 <白蛇夫人> 監督 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=69DhzDrHVeI 1960年 <この命がつきるまで> 監督 6.25戦争に参戦して負傷し,性障害者になった夫を頼って周囲の 誘惑にも揺れることなく強く生きていく女の行路を典型的なメロ ドラマの構造で描いた映画 1962 第12回 ベルリン国際映画祭 銀熊賞 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=fHUhkWSxVG4 1961年 <燕山君(ヨンサングン)> 監督(チャンハンサモ編),制作 総天然色シネマスコープ映画 大鐘賞(1)/優秀作品賞 1961年 <成春香> 監督,制作 旧正月を控えてミョンボ劇場で封切りして74日間38万人の観 客を動員した総天然色シネマスコープ映画 同時期に封切られた<春香伝>(ホン・ソンギ(洪性麒)監督) が惨敗する。 監督生涯の絶頂期の始まり。 1961年 <離れの客とお母さん> 監督,制作 一夫従事の封建的道徳観念と因襲を美徳として主張し,事実上, 監督の代表作として地位を確立した映画 1962 第1回 大鐘賞映画祭/監督賞 1962 第5回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞 1962 第9回 アジア太平洋映画祭/最優秀作品賞 1961年 <常緑樹> 監督,制作 文盲退治など農村啓蒙運動の正当性を込めた映画で,当時のセマ ウル(新しい村)運動に符合する素材として<米>(1963)を産む モチーフになる。 1962年 <暴君燕山> 監督(復讐,快挙編) [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=KU3zNR40aE8 1962年 <烈女門> 監督,制作 両班家の未亡人となった嫁と情を通じた罪に問われた作男が一人 で苦労して育てた息子が訪ねてきたが,息子と呼ぶこともできな いまま,守節という頸木を背負って生きていく男中心社会の慣習 的矛盾を描いた映画 チョ・グンハ=趙肯夏監督の<寡婦>のリメイク 1963 第2回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=wm62W7_3hSg 1963年 <江華道令(カンファドリョン)> 監督,制作 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=2AqLtVks5Nc 1963年 <チョルチョン(哲宗)とポンニョ(福女)> 監督,制作 1963年 <松明(たいまつ)> 監督,制作 1963年 <米> 監督,制作 1955 第12回 アジア映画祭/監督賞 1963年 <ロマンス・グレー> 監督,制作 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=bNUS5qLqm2E 1964年 <唖の三龍(サムニョン)> 監督,制作 夫から虐待を受ける地主の嫁を恋慕する聾唖の作男の愚直な愛の 真実性をキム・ジンギュという卓越した演技者を借りて具現した 映画 1965 第4回 大鐘賞映画祭/作品賞,監督賞 1964年 <空爆作戦命令 赤いマフラー> 監督 空軍操縦士の戦友愛と恋を収めた映画 韓国空軍の全面的なバックアップを受けて制作された。 日本,台湾などの地に輸出して良い評価を受ける。 1964 第11回 アジア太平洋映画祭/監督賞 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=nVyqKUCicAE 1965年 <「裨将(ペビジャン)> 監督 1966年 韓国最大の撮影所であるアニャン(安養)スタジオを買収し,施設 と設備を維持するための赤字が累積した。 1967年 <馬賊> 監督 1967年 <李朝残影> 監督,制作 解放前,韓国で生まれ,ヨンサン(龍山)中学校に通っていたこ ともある日本の小説家・梶山季之の原作を映画化した作品 脚本は,日本の有名なシナリオ作家・松山善三 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=8vYusvJe8YQ 1967年 <夢> 監督(リメイク),制作 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=rOPShYituFA 1967年 <山> 監督,制作 1967年 <多情仏心> 監督 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=Fi384KEvwIE 高麗朝廷を奸計した妖僧シンドン(辛旽)を描いた作品 1968年 <大院君> 監督 1968 第7回 大鐘賞映画祭/作品賞,監督賞 1968年 <無宿者> 監督,制作 満州ウェスタン 1968年 <女の一生> 監督,制作 1968年 <黄金コウモリ> 監督,制作 1968年 <内侍(ネシ)> 監督 猥褻の疑いで立件され,捜査を受けた。 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=FcBPc5awUbM 1968年 <女馬賊> 監督,制作 1969年 <陸軍キム一等兵> 監督,制作 1969年 <続・内侍(ネシ)> 監督,制作 1969年 <女性上位時代> 監督,制作 1969年 <千年狐> 監督,制作 1970 スペイン フテーズ映画祭/監督賞 1969年 <李朝女人残酷史> 監督,制作 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=LoMuZf2iX1I 1969 第15回 アジア映画祭/監督賞 1969年 <蛇女> 監督,制作 1969年 <長恨夢> 監督,脚本,制作 1969年 <糞女> 監督 ? 1970年 <晩鐘> 監督,制作 1970年 <李朝怪談> 監督 1971年 <恋愛盗賊> 監督,脚本,原作,制作 1971年 <戦争と人間> 監督,撮影,制作 日本統治時代の満州の荒野を背景に,戦争に巻き込まれた若い 世代の愛憎や勇気を叙情的なタッチで描いた作品 1971 第17回 アジア映画祭/監督賞 1972 第8回 百想芸術大賞/監督賞 1971年 <平壌爆撃隊> 監督,制作 1972 第11回 大鐘賞映画祭/監督賞,優秀反共映画賞 1972年 <宮女> 監督,制作 1972年 <孝女シムチョン(沈清)> 監督,制作 1973年 <三日天下> 監督,制作 青龍賞(10)/作品賞(劇) 1973年 <校長先生上京記> 監督,制作 1973年 <離別> 監督 1973年 <返魂女> 監督 1974年 <漢江> 監督 1974年 <13歳の少年> 監督,脚色 1975年 <椿姫(チュニ) '75> 監督 1975年 <薔薇と野良犬> 監督,脚本 香港との合作映画 削除されたはずのベッドシーンなど2カットが,そのまま劇場 で予告編として上映されたなどの理由で,シン(申)プロダク ション(申フィルムの後身)の映画社登録が取り消された。 1975年 <アイラブ・ママ> 監督 1976年 8月 女優のチェ・ウニと離婚 1976年 <女囚407号> 監督 1976年 <続・女囚407号> 監督 1978年 1月14日 女優のチェ・ウニが香港滞留中に北朝鮮の工作員の 誘引によって失踪した。 1978年 7月19日 監督が北朝鮮の工作員により香港で拉致された。 監督は,キム・ジョンイル(金正日)の支援の下,北朝鮮でシン (申)フィルム映画撮影所を建て映画を制作する。 1984年 <帰らざる密使> 監督 北朝鮮で制作 「ハーグ密使事件」をドラマチックに描いた映画 カルロヴィ・ヴァリ映画祭で賞を獲得 1984年 <脱出記> 監督 北朝鮮で制作 1984年 <愛 愛 私の愛> 監督 北朝鮮で制作 1985年 <プルガサリ> 監督 北朝鮮で制作 1985年 <塩> 監督 北朝鮮で制作 チェ・ウニ主演 モスクワ映画祭 最優秀主演賞(チェ・ウニ) 1985年 <沈清伝> 監督 北朝鮮で制作 北朝鮮滞在の2年3か月の間に17作品を制作 1986年 3月13日 オーストリア ウィーンの米国大使館を経由してア メリカに亡命 1990年 <真由美> 監督 北朝鮮による大韓航空機爆破事件を扱った免罪符性の反共映 画 1992年 <忍者キッズ2> 監督(米国) 亡命期間中,米国ハリウッドで申プロダクション(Sheen Production)を設立して<忍者キッズ>シリーズを制作・ 監督 1994年 <蒸発> 監督,脚本 パク・チョンヒ(朴正煕)大統領末期の政治的陰謀を素材に 扱った映画 1994年 第47回 カンヌ国際映画祭 審査委員 1995年 MBC文化放送ドラマ <第4共和国> パク・ヨンテ役 1995年 <忍者キッズ3> 監督(米国) 1996年 <英雄ガルガメス> 監督 1999年 チェ・ウニとともに韓国へ永久帰国する。 2003年 アニャン(安養)にシン(申)フィルム映画アカデミーを設立 (理事長) 2003年 第2回 大韓民国映画大賞 功労賞 2004年 <冬の物語> 監督 2006年 4月11日 持病により死去(80歳) 墓地は、京畿道 アンソン(安城)市 ポゲ(宝蓋)面 プッカヒョン里 ソジェ 天主教(カトリック)公園墓地 2006年 7月 韓国映画人福祉財団選定 映画関係者 名誉の殿堂 献額 2006年 韓国映画発展に寄与した功績を認められ、金冠文化勲章を叙勲 監督作品:66本 制作作品:225本 [家 族] 兄:シン・テミン、,シン・テソン 妻:女優のチェ・ウニ 1959年5月結婚 1976年8月離婚 長男:映画監督のシン・ジョンギュン 長女:シン・ミョンヒ 妻:女優のオ・スミ 次男:シン・サンギュン 次女:女優のシン・スンニ(申勝利) [解説資料] 韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで(鄭j樺 [著] )133頁 [最終更新] 2014-10-25