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J.J.バルビエとともに


 

1977年の12月25日は、私にとって忘れられないクリスマスだった。それは初めて「音楽と真剣に向き合う」始まりとなったからだ。池袋にあった西武美術館で、マン・レイの作品に囲まれながらJ.J.バルビエが弾くサティを聴いた時、その音が語る豊かさに、私は底知れぬ衝撃を受けたのである。

柴野さつき




バルビエとフランス郊外アルクイユのサティの記念碑へ向かう

それから半年後、私はバルビエに一通の手紙を書いた。「サティとセヴラックを教えて欲しい」と・・・。とらえどころのないサティを、また未知の作曲家だったセヴラックを通して、自分の音(音楽)を見つけることが出来るような気がしたからだ。2年半のレッスンの合間に、たまたまサティの晩年を過ごしたアルクイユに私が住んでいたことから、バルビエも喜んで散歩に付き合ってくれた。

パリ「エスパースジャポン」でのデビューコンサートのチラシ
バルビエとサティの「梨の形をした3つの小品」を連弾したのは忘れられない思い出
 
コンサート後に、バルビエがデオダード・セヴラックのお孫さん(左から2人目)ご夫妻を紹介してくれた




帰国後のリサイタルでは、「梨の形をした3つの小品」を自動ピアノを使って、一人二役で演奏した。この後、バルビエと共にサティの楽譜を編集し、それが現在出版されている「サティピアノ作品集」(音楽之友社)へと受け継がれている。
 

<東京での1982年12月のコンサートに寄せて>
柴野さつきは、優れたピアニストというだけでなく、申し分のない音楽家です。私が高く評価するのは、その簡潔にして柔軟性に富んだ演奏です。彼女の感受性、フレーズの確かさ、タッチの多様性が音楽の質を高め、演奏をとても豊かにしています。エリック・サティやセブラックのピアノ曲に関しては、彼女は私がこれまで聞いた中でも最高の演奏者の一人といえます。これらは音楽家であり詩人でもある人の作品ですが、それはしっかりした内的リズムで組み立てられた詩的なタッチと多彩な音の響きによって生きてきます。そして、これらはすべて柴野さつきの気質にぴったりとあてはまっているのです。

1982年11月11日 J.J.バルビエ


バルビエと共に編集したサティの楽譜集





バルビエの死後、
友人達によって出版された詩集




 
ダイヤモンド

私は脳髄に拡がる
陰鬱な荒野を横切った
待ち望んだ贈り物の兆しを感じて
私は夢想をずたずたに引き裂いた
私は緑色の霧を切り裂いた
血の愛撫とともに…
そして 私の夜は僅かに開かれた
まばゆいほどの混沌を背にして

遥かなる心のひだに住む
霧と水の幻影
私の中の透き通った流れが
手を通して染み出してくるのがわかったのだ
親密な夜明けの光が私の果てに積もる雪を燃やし、
私の魂が死の最初の光沢を備えた翼を輝かせるのを見た…

だが世界はふたたび閉じ込めてしまった
雷色のダイヤモンドの光を
そしてもう私の風景はすべて
煙のような姿を取り戻していた







ソネット

蜃気楼の夜の船頭よ
君のオール櫂を休めたままにして―
力を取り戻すまでのあいだ
太古のくちづけの時刻まで

孤独。物憂さは荒れ狂う
口づけの宮殿のまわりで
擦り切れた夢の船頭よ
なぜふたたび旅を始めるのか?

私は運命の戯れで迷ってしまった
私の影は青い身振りをする
月の光で粉飾された荒野の上で

我々の魂の眠る宮殿
夜はそれを薄片の中に運び去る−
そして すべてが神々から遠く隔たって起こる


翻訳 大貫美帆子(おおぬきみほこ)




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