今回は、私のイスラム圏での失敗談をふたつ。
まず、インドのイスラム人居住区での出来事です。

 私がフロスカムと出逢ったのは、バラナシ駅のホームでした。もちろん他にも客引きが ドッといたのですが、
「オレのリクシャー(後ろに人が乗れる車体を付けた自転車)は、どこでも2ルピー!」 (当時1ルピーが5円)
そう叫んだのがフロスカムでした。
相場はわかってますから、良心的!な金額であったわけです。
こうしてとりあえず、ひとりのガイドを決めれば、他の客引きたちは退散、好奇心でギ ラギラの目も一挙に減ったようです。

翌朝5時、ガンジス川から日の出を見ようと、彼とホテルの前で待ち合せてました。す るとどうでしょう。フロスカムは、約束より1時間も早い4時に来て、私が他のガイドに 連れていかれないよう、待っていたのです。こんな必死な彼を見て、インド人の一面を覗 いた気がしました。
彼は「当たり前だ」と笑うのですが、2月のインドは1日の温度差が大きく、朝晩はすっ ごく冷えて寒いのです。彼は毛布のようなショールを頭からかぶって待っていたのでした。


 それから、彼は自分の家族や友人を紹介してくれました。家庭料理もご馳走になり、家 族とも仲良くなり、“イスラム人って”面倒見がいいなあと感心していました。でも落と し穴は、思いがけない時にきたのです。
フロスカムの家は、イスラム人居住区にありました。大通りから離れて、細い道は迷路 のように入り組み、とてもひとりでは歩けない場所です。でも何度もフロスカムと歩く内 に、私自身がここに“慣れている”という錯覚に陥ったのです。
 それは、フロスカムの弟と“ふたりだけ”で、近くのサリー工場を見に行った時に起こ りました。


弟は未成年でした。まだヒゲもはやしてなく、女性のように繊細な顔立ちをしています。
 私たちは途中からひとりふたりとつけられ始めました。そしてそれはだんだん行列にな り、20人ほどになり、私たちは早歩きせざるを得なくなりました。彼らも小走りで追っ てきて、ついに私の手やお尻、首に後ろから手が伸びてきたのです。あとは逃げながら手 を払い、彼らは更に逆上して大声をあげ、私たちはひたすら猛ダッシュ。
ホンの数分の距離が、長く長く感じられ、彼らの手があちこちのびる中、一生懸命逃げた のです。
 彼らの大きなうめき声を聞きつけたフロムカムが、駆けつけて、ものすごい声で怒鳴り ました。彼は弟と私をすぐ家に入れ、門をかたく閉めました。私はドッと涙が出たのを覚 えています。


私は、Gパンに半袖のTシャツという格好でした。彼らにとってピッタリしたGパンは 裸同然であったのです。私は知らず知らず“非常識な格好”で歩いていたわけです。
 あの事件は、私にとっていい教訓になりました。当たり前のことですが、いい人がいて 、悪い人もいるのです。あの時追ってきた男たちの“目”が、現在の私の“旅先で人を見 る目”の判断基準のひとつになっています。

 これは世界一周のときですが、娼婦に間違えられて大変だったことがあります。

 間違えられるだけならマシですが、場所がエレベーターの中に閉じこめられた時で、と にかく焦りまくりました。
 エジプトのカイロで、4階5階だけが安宿というオンボロビルで起きた事です。宿に戻 ろうとエレベーターに乗ると、ひとりのオトコが飛び乗ってきたのです。
 ふと、そのオトコと目がバチッ!と合いました。日本では、他人をぶしつけに凝視し続 けることは、あまりないことですが、こっちの人の視線って、嘗めるように執拗なんです よ。
 私から目を反らさずに、今度は握手を求められたのです。何の握手なのよ・・とは思う ものの、めんどくさくて「まあ・・いっか」と応じたのです。それが、ここでは“特別” な意味を持つとは知らずに・・です。


 握手の手が離れると、オトコは私にペットリ体を寄せ、顔まで私に寄せてきたのです。 と、こんな時にエレベーターがガタンと止まったんですよ。
 唯一救われたことは、オンボロであるために完全な密室にはならず、大声だせば、1階 にも4階のホテルのおじさんにも聞こえるだろう状態であったこと。
 私は迫ってくるオトコにヒジテツを食わし、エレベーターのボタンを押しまくり、大声 で叫びました。
 オトコはまたペットリくっついてきます。とにかく怒鳴っていると、エレベーターは急 に動きだし、またガタン。
 結局、また動きだしたものの、1階に下りてしまい、オトコをエレベーターから突きだ し、無事4階にたどり着いたのです。オトコは、その後もビルの近くにウロウロして、今 度は階段を上る私を追いかけたりして、恐い思いをしました。でも私はどうしてなのか、 まったくわからないでいたのです。


 その問いは、その後イスラエルで逢った日本人男性から知ることになりました。
 イスラムの世界では、男性と目をあわせる女性は、“娼婦”だそうなんです。
「こっちがイスラム教徒でなくても、イスラムの女性は僕たちとは、目を合わさないよう にするよ。ほら、見て。」
私がその男性と並んで歩いてみると、見事、女性たちは上手に斜め下に視線をずらすでは ないですか・・。
 女性同士は、好奇心で抵抗なく目を合わせますから、気がつかないはずです。私はあの 時、娼婦に間違えられた、いや間違えられるような行動をとっていたというわけです。


私たち旅行者は知らず知らずに、訪れた国で非常識なことをしてしまっているに違いな いのです。
また、私たち日本人は宗教に無頓着なために、そのしがらみに戸惑いがあります。イス ラムの世界では、結婚するまで女性と親密にできないわけですから・・、旅人である私た ちがそれをヘンに刺激しないよう格好や言動に気をつけたいものです。イエスとノー、わ からないことはわからない、そして、必要な時には怒る勇気を持つこと、必要だと思いま す。