旅に教わったこと。 「RE:イスラエルでお会いしましたか?」


<あなたのHP「女ひとりの133日間世界一周」は偶然見つけたものですが、イスラエルの旅行記に、僕が体験したものとそっくりの内容があったので、もしや、あの時の人では?と思ってメールしました。僕が大学4年の'94年の夏、エジプトのカイロからイスラエル行きのバスで、国境に置いてきぼりにされました。その時、同じ目に遭った日本人女性と一緒になりました。>

うわー、あの時の人だー!と感動して読んでると、
<その時の僕の格好は(略)で、その女性は眼鏡をかけ、相当みずぼらしい格好で、かなり警戒している様子に見えました。(後続)>
いやー、吹き出しちゃいました!。それにしても、ネット上で再会するとはびっくり。

  その事件は、忘れもしない'94年の8月7日。朝6時発のイスラエル行きバスに乗るために、宿を出たのが4時半。こんな時間、誰もいないだろうと思って、1時間の道のりを歩いたのが、そもそもの間違い。肉体労働者のような大男がいっぱいいて、異様にギラついた目が、嘗めるように私を見、ひやかし、意味なくおっかけられるし・・。

で、無事バスに乗れてほっとして、さあ、イスラエルまでまっしぐら!と思っていたら、エジプト出国審査で、ビザの有効期限切れが発覚。そっ、これじゃー出国できないと言われ、ぎょえー!。審査官からあっちで待てと言われ、おとなしく待ってたら、次から次へと大型バスが到着して、全く相手にしてもらえない。とにかくまた長蛇の列に並び、粘りに粘って、罰金払って出国。しかし、今度はイスラエル側の審査で、土産に買った“パピルスの絵”の包みがあやしい、それに、荷物が小さすぎる、と足止め。中身を全部広げて、いちいち説明して、ようやく解放された時には、バスがない。この緊急事態に?大学生の彼と会うんです。
このあとはさらに大変で、もうむちゃくちゃ。救いは、この怒りを日本語でぶつけられる彼がいたことでしたね。

さて、そんな日のフィナーレは聖地エルサレム。すでにあたりは真っ暗で、彼も私も、精神的にも肉体的にもボロボロ。そんな私たちに、ひとりのイスラエル人青年が、救いの手をさしのべてくれたんです。でも、これまでひどいコトばっかりだったので、初めは疑ってましてね。でもその青年の親切は本物で、ユースまでタクシーで連れて行ってくれて、タクシー代も受け取らず、ここからはバスで帰るからと。ユースの階段から、バス停で待つ青年にありがとう!と手を振っていたら、涙がこぼれてきたこと、思い出しました。

さらにメールの続き。
<その女性のことで特に印象に残っていることは、手の平。変なごげ茶のシミが広がっていて・・>
病気かと思ったと。
この正体は、“ヘンナ”。カイロで知り合った人が結婚式に連れていってくれて、お嫁さんのお母さんしてくれたものだったんです。綺麗な模様を描くのかと想像してたら、ところがどっこい、草をすりつぶしてベトベトドロドロ状態のものを、ポンと私の両手の平にのせられ、
「幸せになるからね。ほーら、ぎゅーとにぎって」とお母さん。ちなみにお母さんの手の平は、ヘンナを握り続けたであろうスゴ色。どのくらい握るのかと聞くと、「ずーっとずーっと。この子(花嫁)は1週間は握るよ」と。
「えー!、だって両手ともこんなしてたら、ゴハン食べれないじゃない?」
「そんなの、ダンナさんが食べさせてくれるよー。」
というワケで、私は可能な限り、そう4時間ほど握ったんですね。でも、幸せの紋章は、多くの人に病気と思われたみたいですが・・。

見ず知らずの私を、あたたかく受け入れて下さったステキな思い出があり、知恵と勇気を振り絞って闘った?不本意な出来事があり、どっちも私の糧になって、今の旅があるのかな、と思います。

ここ数年、私の旅は、ひとりから子連れになりました。当然ですが、大変です。でも、2人の息子達のおかげで、今までと違った人や出来事に逢い、今まで目にとまらなかったものがとまる、という貴重な経験をしています。息子達が、もうお母さんと行かない!という日まで、一緒に歩き、そして世界の子供達に会いにいこうと思います。