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Serialization: A STAGE OF RUSH

#1. "First Gig" - "The Dead Summer" -
"Rush Tour (First US Tour)"

rush
Released July 1974
Mercury/Polygram
original:
Moon Records,
 early 1974

Tracks: 
 Finding My Way 
 Need Some Love 
 Take A Friend 
 Here Again 
 What You're Doing 
 In The Mood 
 Before and After 
 Working Man 

----ラッシュのファーストアルバムに伴うツアーは1974年8月14日に始まりました。しかしこの前にもラッシュはライヴを行っています。まずはそこから----

 ラッシュの最初のギグ。それは1968年の8月に行われた、とされている。このときのメンバーはアレックス・ライフスン、ジョン・ラトジーそれにジェフ・ジョーンズ(Ba.& Vo.)であった。
 ギグはトロント郊外の「ザ・コフ・イン」という名のコーヒーハウスで行われ、演奏曲は Cream のカヴァーを中心とした、当時流行っていたハードロックであったらしい。
 しかしこのラインナップは一回のギグで終わった(ようだ)。バンド自体の評判は良く、「ザ・コフ・イン」での継続した出演が決まったのだが、ジェフにはそれほど魅力的な話ではなかったらしい。つまり、まだ単なる学生のコピーバンドであったという事だ。

 2回目の出演日、急遽代わりのベーシストが必要となったアレックスは、良くアンプを借りており、セッションもしたことのあるゲディ・リーと連絡を取り、ゲディ本人を借りることとなった。そして同年9月、アレックス、ジョン、ゲディという 1st アルバムの布陣が初ライヴを行った。

 その後、ジミ・ヘン、フー、ベック、ストーンズ、プレスリーの "監獄ロック" などがレパートリーに加えられた。またこのころからオリジナル曲も書き始め、その中には "Losing Again" "In The Mood" という名の曲があった。

 同年のクリスマス、ラッシュはキーボーディストしてリンディ・ヤングを加える。4人編成となったラッシュは1969年5月にゲディがジョンと仲違いして追い出されるまでの約4カ月間、発展していった。

 ラッシュはベーシストにジョン・パーナを加え、バンド名を「ヘイドリアン」と変更した。こうしてラッシュは一度解散する。

 ゲディが結成した「ジャド」が好評なかわりに、「ヘイドリアン」はあまり出番がなかった。そして1969年9月に「ジャド」が解散したのを受け、ラッシュが再結成された。このときリンディは大学に進学しており参加しなかった。

 そして同年秋、運命のバンド Led Zeppelin と出会う。そこからゼップのスタイルを取り入れた曲作りが始まった。また、ゲディが裏声で歌うことを始めたのもこのときからであった。

 1969年の暮れには "チャイルド・リボーン" というテンポが複雑に変化するオリジナル曲が演奏されている。このころ既にラッシュはオンタリオ州中をサーキットしていた。そのほかのオリジナル曲には "Number 1" "Keep In Line" "Run Willie Run" "Mike's Idea" "Tale" といったものがあった。

 1970年の間じゅうライヴとオリジナル曲作りが続けられた。

 1971年2月、ミッチ・ボッシというギタリストを加え再び4に編成になったが、数カ月で彼は脱退し3人に戻っている。
 同年夏、コーヒーハウスや高校のステージ以外に、はじめてバーでギグが行われた。が、オリジナル曲を演奏したい、と主張したため夏の間はたった3つのギグしかできなかった。そこからこの夏は "The Dead Summer" と呼ばれた。しかし、暇な間は作曲が行われ、"Working Man" はこの時期にかかれた。他に "Slaughterhouse" という曲もあった。
 同年暮れになってやっと評判を取り戻し、1972年になると "Fancy Dancer" "Garden Road" といったオリジナル曲も演奏されていた。

 1973年、ライヴをはじめて5年目に入っていたラッシュは、ついにレコードを製作することになった。それが「Not Fade Away/You Can't Fight It」シングルである。
 「Not-」はバディ・ホリーのカヴァー、"You Can't-" はオリジナルであった。しかしこのシングルはセールス的に大失敗した。そこで彼らはアルバムを作る、という大きな賭にでた。すべて自費で録音し、配給だけをロンドンレコードに頼もうという計画だった。

 レコーディングは終わったものの、その出来にメンバーは満足できなかった。そこでプロデューサーを頼むこととなった。そこで出会ったのがテリー・ブラウンである。
 彼のプロデュースの元、1st アルバム "RUSH(閃光のラッシュ)" は完成し、3,500枚、カナダローカルで配給されることになった。

 当初1973年12月の発売を予定していたラッシュは、"Rush Times Three" という短いツアーを行った。ラッシュ、マホガニー・ラッシュ、ブルラッシュの3つのバンドが合同でやったので「ラッシュかける3」というわけだ。
 同年10月27日にはニューヨーク・ドールズとのダブルヘッドライナーでのライヴも行われた。

 石油不足のためリリースの遅れた 1st アルバムは1974年1月、ついに発売された。
 その後、アメリカのラジオで "Working Man" がかかり、それを気に入ったブルーカラーの人々がアルバムを買い求めたため、ついにアメリカの大きな会場でのライヴが実現した。もちろん、ZZ top のオープニングアクトとして、だが。1974年6月28日のことだった。

 その後アメリカでの人気が徐々に高まり、ついにマーキュリー社との契約が結ばれた。
 8月14日に始まる数カ月のツアーが設定され、アルバムもその2週間前に発売されることになった。が、この長く、しかも前座としてのツアーについての不満を初めとする様々な問題から、ジョンが永久的な脱退を宣言する。

 ツアー開始2週間前、急遽ドラマーが必要になったゲディとアレックスは、何人かのオーディションの後、二人の共通の友人に紹介された、ハッシュというザ・フーのカヴァーをしていたバンドのドラマー、ニール・ピアートのオーディションをする。
 ゲディとニールはすぐに意気投合し、結局7月29日にニールは正式なラッシュのメンバーとなった。そして8月14日、アルバム "RUSH" の発売に伴う初のアメリカツアーが始まった。

(Visions:The Official Biography より抜粋)




 さて、こうして始まったアルバム "RUSH" のプロモーション・ツアーでの演奏曲について解説します。

 この時期は前述の通り前座としての演奏だったので、最長でも1時間足らずの演奏でした。8月26日のセットリストは次の通り;

  • Intro/ Finding My Way
  • Best I Can
  • Need Some Love
  • In The End
  • Can't You See
  • In The Mood
  • Bad Boy
  • Here Again
  • Working Man/ Drum Solo
 "RUSH Tour" 前半の約1時間のセットの時は、基本的にこの様なセットリストであったと思われます。
 この中で "Can't You See" はレコード化されていない曲。また "Bad Boy" は50年代のラリー・ウィリアムズの曲で、ビートルズもカヴァーしたとか。

fly by cleaveland '74
Recorded:
11/03/74
Cleveland, OH
(incomplete)

 これが11月にはいると "Need Some Love" "Can't You See" に変わって 1st アルバムから "What You're Doing" が、また "Fly By Night" "Anthem" が出来立ての新曲として演奏されるようになります。
 代表的なセットリストとして11月3日のものを挙げると;

  • Finding My Way
  • Best I Can
  • What You're Doing
  • Fly By Night
  • Here Again
  • Anthem
  • Bad Boy/ Guitar Solo
  • Working Man/ Drum Solo
となっています。このころになると演奏はかなりタイトになり、また "Working Man" も即興的で長い演奏になっています。

 このあとの11月28日のショウでは、72年にかかれた "Fancy Dancer"(もちろんアルバム未収録)も演奏されています。

rush hour
Recorded:
12/05/74
Electric Ladyland
Studios
rush hour
Recorded:
12/05/74
Electric Ladyland
Studios

 さらにこのあとの12月5日、大変有名なニューヨークの Electric Ladyland Studios におけるラジオどりがあり、サウンドボード音源として現在まで数多くの海賊盤が作られています。
 そのときは "What You're Doing" は演奏されず、"Need Some Love" "In The Mood" がセットリストに加わっていました。

 この時期の曲でアルバムで聴けるアレンジと異なっているのは 1st アルバムの曲では "Working Man" です。この曲は最初期からアルバムよりも長い構成をルーズにしたバージョンでさらにドラムソロを挟んで演奏されていました。

 さらに 2nd アルバムに入る曲では "Fly By Night" のアルバムとの違いが顕著です。
 特にこの曲を「まだ2週間前に書かれたばかりで初めて演奏します」と、MC で紹介している 11/03 のテイクはドラムのパターンがシンプルで、明らかに発展途上にあったとわかります。
 それに対して、"Anthem", "Best I Can", "In The End" はアルバムに収録されるのとほとんど同じアレンジでした。

 1st アルバムに納められている曲でライヴでの演奏が確認されていないのは、"Take A Friend", "Before And After" の2曲です。

 現存するライヴテープなどからわかるこの時期のステージはこの様なものでした。
 残念ながらアルバムリリース以前のライヴの音源は出回っていないため、その時期のセットリストなどの詳しいことはわかっていません。ただ、その最初期の音源もいつの日か公開されるかもしれません。これは "Caress Of Steel Tour" の音源についてもいえることなのですが、アメリカ、カナダにはこれらの音源を決して他人に聴かせない、通称 "テープ保管者" という人々がいるのです。多くのトレーダーが彼らからそのようなテープを得ようと努力していますが、未だ成功していないようです。

 ところで、74年10月9日には Dan Kirschner's Rock Concert の録画をし、"Best I Can", "In The Mood", "Finding My Way" の3曲が映像で残っています。
 この映像を見れば、この時期はまだアレックスが全面にでたギタートリオの様相を呈していたことがわかります。



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