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The list of all Japanese Rush articles

Rhythm & Drums Magazine Oct. 1984

Interview with Neil Peart by Scott K.Fish

[翻訳:高橋佳代子]

 
 

----ニール、君はロック界のマーク・トウェインだね。「トム・ソーヤー」という曲もあるし、アルバム『シグナルズ』では、ハックルベリー・フィンみたいなキャラクターをよく描いているだろう。

ニール: たしかにそうだね。僕と関わりが深いからだ。僕自身、彼らと似たような環境で育ったからね。郊外の家に住み、夏には農場を持っている親戚のところへ遊びに行ったり。それに30年間生きてきて少しは賢くなったけど、僕の人生の見通しっていつも単純だし、昔と同じような事で喜んだりしているんだ。だから有名になることなんて僕にはぜんぜん興味がない。ドラムスや旅は大好きだけど、それをとりまくものは今だに苦手なんだ。
 街を歩いてて見知らぬ人が僕のことならなんでも知っているという感じで近寄ってくるのは耐えられないし、そんなの本当の人と人との触れ合いじゃない。決して人間嫌いじゃないけど、こっちのことを偶像かなんかだと思っている人と真の友情をわかち合うことはできないだろう。僕達は普通の人間と切り離された別種の生き物やロックンロールの偶像になんかなりたくない。そういう虚構の世界はハリウッドが神がかり的なスターを産み出して以来、いまやロックは、これを市場拡大の道具にしているんだ。
 世の中の人はなぜか芸人や有名人って普通の人とは違うんだって信じてる。そんなの不自然だし、ウソっぱちだよ。僕だって仕事上の成功は収めたいし、ドラムスや詞が有名になるのは嬉しいけど、僕の容姿は関係ないだろう、有能な医者や建築家がどんな姿カタチかなんて気にするかい?それと同じさ。
 僕はコンサートが終った後、ファンと会ったり、サインに応じたりするし、家にいる日はファンレターの返事を出しているんだ。そういう事は喜んでやってる。だけど10日に1度くらいはそんな気分じゃなかったり、本当に病気だったりすることもあるんだ。それでもプロだから演奏はキチンとやるけど、そこで、「今日は気分がすぐれないんだ」なんて言ったら、「おタカくとまりやがって、そんなことを言える立場なのか!?」って言われるのがオチだ。ミュージシャンが有名になると、もう人間扱いされてないんだ。そうやってどんどん孤立させられるんだ。

----なるほど、そうすると音楽をとるか、好きな文学をとるか選択するようなことはなかったかい?

ニール: それに直面することが多くなったね。詞を書き始めたのは偶然だったんだけど、ラッシュの前のドラマーが詞を全部書いてて、他のメンバーはあまり関心がなかったんだ。そこに僕が入って、ちょうど興味もあったんでやってみることにしたわけ。しかも彼らは僕の詞をとても気に入ってくれたし、楽しく充実した役目だ。
 詩(韻文)とドラムスには共通点が多いんだ。どちらもきっちりとしたリズムの中で自由にフレーズを操るだろう。つねに新しいリズムやフレーズを考えて出していくのはとても面白い。だけど詩については制約も感じている。ドラムスのように小節内に決まった拍数のリズムを収めるみたいに、詩も決まった場所にアクセントをつけた節を収めなきゃいけないからね。ともかく、詩を書くのはとても難しい。言葉をいくつものフィルターにかけて凝縮することが要求されるんだ。うまく表現できてる時ほど言葉の数は少なくなり、そのひとつひとつの重みが増す。近代の優れた文学者達も皆そうだ。とくに文学の黄金時代といわれる1920年代から30年代のアメリカの作家達。僕もいつかは作家になりたいと思っている。だけどラッシュにいる限り、ラッシュに全精力を注ぎたいんだ。
 文筆業と音楽のふたまたをかけることはできない。どちらもそんなナマやさしいことじゃないから。でも、毎年何週間かは書くことに専念している。自分を試すつもりでね。いい短編のひとつでも書けたら本物の作家気分だ。だけど今はあくまでもミュージシャンが本業だからね。
 でも、ミュージシャンには“収穫逓減の法則”がつきまとう。つまり、僕達はツアーの度に進歩して、新しいアイディアも増えていく。そして期末試験に臨むような気持ちで次のアルバムを作る。レコードには人間技を超えた最高のものが収められるから、その次のツアーでそれを何とかライブでこなそうとする。そうやって進歩するんだ。最初のうちは皆ヘタだから開発の余地が大きいし、目に見えて進歩する。だけどだんだんに進歩が少なくなる時が来る。僕達も自慢じゃなく、もう自分達の思い通りに表現できる程度の技術は持っている。ツアーの間に1つ、2つ新しい事は学ぶけど‥‥‥。いつか、もうこれでいい、これでしばらくやっていこうって思う時が来るハズだ。そうなった時、僕の次の目標は文筆活動になるんだ。ちょうどドラムスの腕を磨こうとした時みたいにエキサイティングだと思うんだ。

----そういった時期がきたら、どんな事を書いてみたい?

ニール: ミュージシャンについてだ。優れた作家達が書いたものをみると、彼らがミュージシャンでなかったために基本的なことが理解されてないんだ。だから、高校のダンス・パーティーに出てる若いバンドとか、超大物たちのツアーのこととか文学的鑑賞に堪えるものを書いてみたい。
 みんなミュージシャンの生活なんか知らないだろう。朝起きて、仕事に出かけて、家に帰る‥‥‥それだけのことだってわかれば、誰も特別視しなくなると思うよ。  僕だって裕福な家に生まれたわけでもないし、一夜にしてプロになれたわけでもない。18歳の時、野望を抱いてイギリスに渡った。だけどお定まりの幻滅を味わい、いろんな職業を転々とした。カナダに戻る頃はもうしっかりこの業界に幻滅していたんだ。
 ミュージシャンの中には楽器を弾いてるだけで幸せだとか、音楽で食っていけなければプライドが許さないという人もいるだろう。だけど僕のプライドは自分の好きな音楽がやれるかどうかにある。これからもドラムスは叩き続けるだろう。だけどそれが生活の中心でない時期があってもいいと思ってるんだ。
 僕たちのことを「いつも好きなことがやれて幸福だろう」と言う人がいるけど、そんなことありえない。たとえば、1回のツアーで150〜200回もステージをやれば、途中でステージを降りたくなるような日だってあるんだ。どんなに好きな仕事だって、いつも完璧に素晴らしいわけじゃないんだ。僕は、いろいろ悩みすぎるんだ。映画『アニー・ホール』の中でウッディ・アレンが「世の中に不幸な人がいるってわかっている限り、自分は幸せになれない」というセリフがあるんだけど、まさにその通り。たとえば、ニューヨークは凄くエキサイティングな都市だけど、あのそびえ建つビルの中で何人もの人達が毎日単調な仕事をくり返し生活し続けていると思うとたまらないよ。

----ところで、君の詞の多くは、作家アイン・ランドに触発されたものだって言われているけど‥‥‥。

ニール: まあ、そう言ってしまえば簡単だけどね。でも巷で言われているほど彼女に傾倒しているわけじゃない。『西暦2112年』は作っているうちに偶然彼女のある作品に似てきたんだ。僕達のことをよく知らない人が何か書けと言われてその事をとりあげるのは不思議じゃない。表面だけをみて、ミュージシャンにレッテルを貼るのは簡単なことだ。

----なるほど、そういえば、ハリー・シャピロは彼の著書『A-Z of Rock Drummers』の中で君の詞の多くを「ファシスト」と決めつけているね。

ニール: 僕は政治的な詞を書いた覚えはない。政治に興味があるところといえば、思想の根本的原理だけだね。そういえば、アイン・ランドもファシストって言われたね。
 '20年代のラジカルな左翼作家ジョン・ドス・パソスには影響されたけどね。それで作ったのが「カメラ・アイ」なんだ。だけど、僕は共産主義者じゃないし、素晴らしい作家だから影響を受けただけの話だ。
 僕は個人主義者で自立した人達の偉大さを信じている。「アントレ・ヌ(私たちの間)」という曲の出だしはこうだ。「人間はお互いに秘密の存在/それぞれの人生が、他の誰もが読んだことのない小説だ」みんな個々の人格を持っている。群集としてひとまとめにはできない。コンサートの観客だってそうだ。僕は群集に向って演奏しているんじゃない。ひとりひとりに語りかけているんだ。もし、「単純でも派手で見栄えのすることをやれば、あいつらは感動するさ」と言うなら、それこそファシズムだ。自分だけに人格があって、残りは単なる“大衆”。そんな“大衆”に向ってプレイするのはミュージシャンじゃない。そんなのは、エンターテイメントのマーケティング・マネージャーがやることさ。

----そうなると君のアルバムやコンサートを聴く人にも理想の姿みたいなものを求めているわけ?

ニール: アルバムを買ってくれたらヘッドフォンをして、歌詞カードをにらみつけて1語1語、1音1音理解しようとする。それが理想の姿、恐らくそんな人はいないだろうけど。でも、そうしようと努めてくれる人はいて、僕たちもそういう人のためにやってるんだ。

----ところで、影響を受けたミュージシャンにキース・ムーン、マイケル・ジャイルス、ビル・ブラッフォードの名前があるけど彼らに実際に会ったことは?

ニール: いや、自分が本当にアイドルだと思う人達には誰とも会ったことがないんだ。

----もし、彼らに会ってじっくり話をする機会があったとしたらどんなことを聞いてみたい?やはり、楽器の話かな?

ニール: たぶん聞かないと思うよ。普段一緒にやってる人、例えばツアーに同行しているバンドのドラマーとならそんな話もするだろうけど、ドラマーってそういう同族意識があるみたいだから。だけど彼らのような尊敬している人に会えたら、本とか映画といった共通の話題をみつけて語り合うんじゃないかな。彼らはドラムスの話なんかもうあきあきしてるよ。機械なんかあまりに日常的で、もう皿洗い機と同じだよ。それにスタイルの一部じゃなく単なる表現手段なんだ。自分の中に持っているヴィジョンを表現するのにふさわしい機械を選ぶわけ。だからどんな機械を使っているのかというより、どんなヴィジョンで組み立てて、何を表現するかが大事なんだ。もちろんドラムスという物体自体面白いし、新しい製品の情報を仕入れたりはしてるけど、それだけじゃどうにもならないってこと。

----機材の話だが、タマのアートスターの設計時に君のことが話題になったそうだけど。

ニール: そもそもライヴ・アルバムのミキシングをしてた時、空き時間がやたら長かったんだ。ちょうどスタジオにハイマンの古いセットがころがっていたんで、キレイに掃除してヘッド換えて叩いてみたら凄くいい音が出たんだ。ピュアなトーンでね。何曲かデモ・テープを録ってみたけど素晴らしかった。
 いつもと違うのはシェルの厚さだけで、とても薄くてヴァイオリンやクラシック・ギターみたいな鳴りをしていた。そこでどうして今のドラムスはどんどん厚くなってるんだろうって思ったんだ。厚ければ厚いほどいいと思ってるとしたら大きな間違いだ。厚いと共鳴しなくなっていい音が出ない。そこで薄手のシェルが欲しくなって、僕の楽器のメインテナンスをやっているパーカッション・センターのニール・グラハムに相談したんだ。
 彼はタマにこの話をつないでくれたんだ。タマは実に協力的で、普通の6層のキットの4層ヴァージョンをナイショで作ってくれた。これはまさに求めていた通りの豊かに鳴るドラムスだった。そして、タマのケン・ホシノに「薄手のシェルを量産してください。ジャズ・ドラマーがグレッチに固執するのは、昔ながらの薄いシェルがあるからです。ヘビィでデッドな音のドラムスが嫌いな人もいます」と言ったところ、実はこのシェルを生産ラインにのせる予定があると明かしてくれた。
 今度は彼が、その広告文のアイディアを求めてきた。僕は他社で話したことを都合のいいように解釈されて書かれ、いやな思いをしたので自分の手で広告文を書かせてくれって言ったんだ。なぜ、こういうドラムスが欲しかったのかを書けばいい広告になると思ったんだ。そこに書いた話のひとつに、昔のレコードはマイク1本で録ったというのがある。そのマイクはリズム・セクション全体とホーンの半分くらいの音も拾ってた。そこでは力強い音、静かな音がそのまま出ている。現代のクロス・マイキングとノイズ・ゲートを多用した録音ではそういったものは失われてしまう。僕がそっと叩こうが、めいっぱい叩こうが大差ない。僕が叩いた通りの音が録れないっていうのはとても気持ち悪いんだ。これはどんなマイクを使っても完全には解決できないことなんだ。
『ムービング・ピクチャーズ』の録音では、PZM マイクを自分の胸に貼りつけて自分が聴いている音に近い音を録ろうとした。これはダイナミックスとつけるのにかなり役に立ったね。

----アートスターを使うようになってスタジオでのマイク・テクニックは変わった?

ニール: いや、スタジオではすべてのアングルをカヴァーするようにしている。クロス・マイキングの他に各種のアンビエント・マイキングもしてるよ。ミキシングではそれをいろいろ組み合わせるんだ。

----ルーム・マイクだけというのはやった?

ニール: 特殊効果に使ったことはある。ドラムスだけのパートでセットから30フィートくらい離したマイク1本で録った。凄いアンビエント・サウンドで単独で使うには素晴らしい音だったけど他の楽器とうまくブレンドするのは不可能な音だったね。
 ドラムスは世の中でいちばん録音が難しいって言われてるけど、叩いてる通りの音が再現できないという意味では真実なんだ。

----ところで、今でもスリンガーランドのウッド・スネアは使っているの?

ニール: 使ってるよ。2番目にグレードの高いやつ。中古品を60ドルで買ったんだけどとても満足している。メタルのスネアで何もかも気に入るってことはなかったんだ。で、初めて手に入れたウッド・スネアがこれなんだ。でも、これがこんなに素晴らしいなら最高機種はもっと凄いはずだと思ったけど、そうでもないんだ。1台1台音に特徴があってソフトな音だけがいいとか、大きな音に合うとかでなかなか全部カヴァーできていない。おそらく前の持ち主の改造が良かったんだと思うよ。スネアが張ってあるところのエッジが切りとられててスネアがのびのびと鳴る。張りが均等でなくなるから、下のヘッドにはいい迷惑だけどね。

----シモンズも使っているようだけど。

ニール: うん、だけど生ドラムとすっかり入れ替える気にはなれなかったから2つのセットを使い分けることにしたんだ。つまり、今までのセットがひとつあって、クルッとうしろを向くと18”のバス・ドラムとスネアやシンバル、そしてシモンズのタムを組み合わせたセットがあるってわけ。ただ、シモンズにも限界があるわけで、タッチをコントロールできると言ったって、その場で3連符をひとつひとつ違う音色にしたりはできない。ただ2つのまったく違うセットがあるのはとてもいいことには違いない。18”のバス・ドラムは凄くパンチのある音が出る。それしか出ないけど、この音は他のバス・ドラムでは出せないんだ。24”の方は全体をソツなくカヴァーするしね。それに今までとは違ったフィルなんかも思いつくんだ。しかも、ごく基本的なセットだから、基本に返るのにもいいしね。何度も同じ曲をやって、いきづまったりしたら向きを変えてやるとまた新鮮なプレイができるんだ。

----ステージでヘッド・フォンを使っているけど何か理由があるの?

ニール: 基本的にはアルペジエーターで鳴らしてるシーケンサーやシンセサイザーを聴くためなんだよ。これは、クリック・トラックでトリガーされてるんだ。『シグナルズ』の中の「恐怖兵器」なんかそうだね。これは人間が機械に合わせなきゃなんないんだ。そこで僕がしっかり聴いて、皆は僕に合わせる、ということになってるんだ。
 ヘッド・フォンをかぶってプレイするときは想像力を働かせなきゃならない。実際のドラムスの音とはまったく違って聴こえるから、そのへんを考えてニュアンスをつけていくんだ。だから、いつも気を使う必要があるね。
 想像力というのは、1人ずつ録音する時にも欠かせないものだ。『ムービング・ピクチャーズ』の中の「YYZ」では、アレックスとゲディのパートがとても難しいんで変なプレッシャーをかけないためにも1人ずつ録ったんだ。僕が一番初めだったから他の音を想像しながらやったわけ。他のミュージシャンを使わずにやっていくには、こういった技量は必要だね。スタジオでヘッドフォンを使うとタムやシンバルの組み合わせのアコースティックな響きがわからなくなる。ごく微妙な違いで、8”×12”のタムからスネアには行けなくて9”×13”のタムからならうまくいったりする。これは長年の経験でつかむしかない。全体のまとまりを調べるにはドラム・ソロがいい。ともかく、こういうとき耳で聴けば楽なことがヘッド・フォンをかぶったためにひじょうに難しくなることはある。そこで、ヘッド・フォンをかぶったらどうなるかを研究して使いこなしてきたんだ。

----今度はテクニックについて聞きたいんだけど、バス・ドラム・ペダルを踏むときは、かかとをつけてる?つま先だけ?

ニール: つま先だけだよ。いろんなものを使ってて全部そばに置いときたい。バス・ドラムもすぐ近く、ヒザの真下にある。これで重心をしっかりかけるんだ。たいていの場合、モモじゃなく、お尻から動かすけど早くて細かいところでは足首を使うね。これは手首も同じだ。大きな音を腕全体で出すけど早くて微妙なところは手首をきかせるんだ。
 バス・ドラムは2つとも同じチューニングだけど脚の方が同じじゃないんで音が違ってくる。右脚の方がもの覚えがいいみたいなんだ。脚の筋肉は、わりと簡単に鍛えられるけど、すぐダメになっちゃうんだ。だから用心しないとツアーの終りごろには腕は調子いいのに脚は疲れきってたりするしね。前座をやってた時代は毎晩40分しかできなくて、いつも筋肉が物足りなさそうだったけどね。
 ともかく、かかとをつけるかどうかはその人次第だけど、僕はスネアが2フィート先、さらに1フィート先にバス・ドラムがあるなんていうセッティングは信じられない。すべて足元、手元にまとめて自分はセットの上にいる感じがいいんだ。その方が自分の力が有効に使えるってわけ。ただ、これは僕の場合だ。

----話は変わるけど、「失われた夢」はヘミングウェイのことを歌っているのかい?

ニール: よくわかったね。

----あれは君自身の先行きへの不安でもあるわけ?

ニール: もちろん。でも、最初に言った通り、僕にはドラムスの他にも目指すものがある。あの歌の中では2つの道が示されていて、1つはダンサー、つまりは肉体的な破滅。2つめは作家、こちらは精神的な破滅だ。本当はミュージシャンについて深くつっこんだ内容にするつもりだったんだ。たとえばボブ・マーリーのように自分ではどうすることもできない病気で死んでいった人とか、キース・ムーンみたいに自分で破滅していった人とか‥‥‥。
 よく老人が「自分はずっとこれをやりたいと思ってきたけど結局できなかった」と言うだろう。それは悲しい。だけど僕に言わせれば何か偉大な才能を持ってた人が、それを失っていくことの方がずっと悲しい。ヘミングウェイの晩年がそうだったように。
 彼は肉体的にも衰弱し、ほんのちょっとした文章の段落や区切りさえ何日も苦しまなければ書けなくなっていた。僕もかなり肉体的に生きているから、これには強い衝撃を受けたね。逆に、精神を道具として使っていくと突然思い通りにならなくなる。ジョン・スタインベックがそうだった。しかし彼は、もうできないとわかっていながら書きつづけようとしたんだ。まさに悲劇だ。

----「失われた夢」に描かれたヘミングウェイの他にダンサーがいるけど実在のモデルはいるのかい?

ニール: 特にいないけど、でも映画『愛と喝采の日々(The Turning Point)』でシャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトが演じたバレエ・ダンサーにちょっとだけヒントを得たんだ。
 そういえば、ゲディは熱狂的な野球ファンなんだけど、ある時、何度かくらったビーン・ボールがもとで突然意識不明になってしまう選手もいるって教えてくれた。こんな不条理ってあるかい。人生を賭けてやろうとしてることが自分でコントロールできない何かによって不可能になってしまうなんて‥‥‥それが人生の流れなんだろうけど‥‥‥。

----話は変わるけど、MTV について意見を聞かせてくれないか?

ニール: ある種のバンドにとっては表現手段が増したね。でも MTV もラジオと同じようにあまりにも型にはまってて売るためのコツがすぐにのみこめてしまう。音楽は音楽だけで充分なんだ。聴く方が曲や詞から思い思いのイメージを映画のように思い浮かべていく。僕達も映画を作るみたいに、まずテーマを決め、その背景を作って‥‥‥という風に曲を作ったことがある。でも音楽は音楽以外の何者でもないんだ。他のものと組み合わせることはできるけど、いいレコードに代わるものは他にない。イメージ的な画像を入れたビデオを作る時でも演奏シーンは必ず入れてバランスをとるようにしているんだ。

----最後に、メンバーを増やそうとしたことはあるかい?

ニール: あるよ、でもこれだけ3人の関係がうまくいってて責任を分担してる時、新しい人を入れてそれが壊れたらイヤだしね。それに僕達をみて、トリオなのにあんなに色々な事をやってる、と思ってくれる人も多いことは事実だし、それは誇りだと思っているんだ。

 
 
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