Happy 10th birthday to me.

1998年2月12日。
私が、インターネットのとびらを初めて開いた日。

今日で、あれから10年が過ぎた。

「自分の表現方法があるから、人生が輝きます」というのは、ある知人の言葉。
私には、それが痛いほどわかる。

どんな場でもいい、自分を表現できる場所があるかということ。
自分という人間を発信し、受け止めてくれる人たちがいる場所。

そんな場所が、家庭に、職場に、学校に、友達つながりに、
1つより2つ、2つより3つ…
多ければ多いほど、広ければ広いほど、人生の幅は広がるのだと思う。

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高校生の頃は、ひきこもり気味の子供だった。
学校に友達がいないことはなかったが、いつも同じグループの中に固まっている感じで、行動範囲も狭かった。
カラオケなんか一度も行かなかったし、帰り道にひとりでコンビニに入るのもためらわれた。

自分を表現できたのは、テストの成績と、学校で流行らせたゲーム(サイコロを振って遊ぶもの)くらいだっただろうか。
マニアックな仲間たちと、マニアックに談笑する時間はとても心地よかったが、
「普通の高校生」から外れた自分、派手に遊べない自分に劣等感を感じることもあった。

悪友に宛てたメール(97/11/17)で、私は以下のように綴っている。

- あなたがいつも、当たり前のようにしているこのような行為(女の子との飲み会等)は、
- 文字通りの「よい子」である私には、実行することはおろか、想像することさえできません。
- たとえ今、あなたから電話がかかってきて、「飲みに行こう、女の子もたくさんいるから」などと誘われても、
- 私は決して行くことはないでしょう(たとえ家族がいなくても)。
- それどころか私は、高校に入って以来、家に帰ってから一人で外出したことが一度もないのです!!
- これが、私の最大の弱点であり、自分でも恥ずかしいと思っている「よい子」の現実なのです。
- それなら、「よい子」をやめればいいだろうとあなたは言うでしょう。
- しかし、「よい子」にとって、「よい子」をやめることは、自分をやめることに等しく、
- そう簡単にできることではありません。
- 私の場合は気が弱く、家族に反抗することさえほとんどできませんから、まずは家族と離れなければいけません。
- それなら、大学に行って家族と離れれば「よい子」が卒業できるかというと、そうでもありません。
- 大学においては「コンパ」とよばれる催し物がたびたび行われるようですが、
- 今の精神状態では、私はとうていそんな所に行く気が出ません。
- こうして、いよいよ私は「よい子」度を深め、一生「よい子」のまま、人生の本当の楽しみも知らず、
- 朽ち果てていくのかもしれません。
- 私は「よい子」をやめたいにも関わらず、そうなることができない。
- 私は、「普通の高校生」になるということにあこがれていながら、
- 一方では、「エリートのT高校生(あえてこの表現を使わせて頂く)」という地位も手放せない。
- それは周囲の環境のせいではなく、自分自身が弱いから。

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そんな私に、ひとつの転機がやってきた。
Windows95の普及と、インターネットブームの到来。
「自分のホームページを作る」ことが最先端だった時代。
小5の頃からパソコンに親しんでいた私が、それに魅力を感じないわけがなかった。

きっかけになったのは、好奇心でのぞいた、ある女性のホームページ。
その人は有名人でもない。都会の片隅、夜の闇に生きる彼女の言葉が、こんなにも純粋に、心を動かすなんて。
自分という存在の発信。
それは、想像を超える世界だった。

自分が、みんなの注目を集めるにはどうしたらいいだろう。
自分にしか、書けないテーマは何だろう。

誰にも読まれないような、あるいは内輪でしか読まれないような日記にだけは、したくなかった。
あの頃ならではの「勢い」と、その裏にしたたかな計算を隠して、
私はホームページを立ち上げた。

1998年2月12日、もうひとりの人格「武藤H」が、ネット上に誕生した。

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私の計算は、予想以上に当たってくれた。
開始から1ヶ月、5,000アクセスを超えたところで、週刊アスキーから掲載の依頼をいただいた。
その後、数冊の雑誌に紹介して頂いたり、当時かなり困難とされた、Yahoo!のカテゴリに登録されたり…
そのことは、さらにアクセス数を伸ばす結果となり、一時は1,000Hit/日を超えることさえあった。
ファンの方からのメールも、たくさんいただいた。

私は、勉強というステージ以外に、もうひとつ、自分が評価される場所を得たのだ。
天にも昇る気持ちとは、このことだったに違いない。

当時の文章にも、こうある。
- 僕は、今まで小さな世界の中でしか暮らしていなかったけれども、
- あなたたちのお陰で、より広い視野をもつことができたし、何より本当に楽しかった。
- 自分の作ったものを、こんなにも評価してくれる人がいるなんて知らなかった。
- まだまだ自分も、捨てたものじゃないな、と思わせてくれた。

ホームページに創った人格「武藤H」の成功は、失われかけた自分のプライドを取り戻させてくれた。
これは結局、現実世界の私にとってもプラスに働いた。

そして時間が経つにつれ、ネットを通して知らない人とコミュニケーションが取れることの楽しさ、喜びが一段と感じられるようになった。
内容が内容だけに、私の本心、本当に伝えたいことはオブラートに包んで書いていたが、
それでも、その奥底を読み取ってくれるファンの方がいることは、何ともいえず嬉しいことだった。

ネットを通じて、たくさんのドキドキをもらった。
知らない誰かを好きになったり、ここでは書けないような関係になったりしたこともあった。
でも、私は道を踏み外していないと、自信をもって言える。

リアルの自分は、今まで通り「よい子」を続ける、
そしてバーチャルの自分は、ネットを通じてちょっと冒険する。

この役割分担が功を奏して、私はちょっとだけ、強くなることができた。
大丈夫、行ける。 ―そう思えるようになった。

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そして1999年、東京での一人暮らしが始まった。
私は雑誌編集サークルという居場所を見つけ、リアルでも徐々に自信をもって行動できるようになっていった。
委員長としての半年間は、特に自分を成長させてくれた期間だった。

専門課程(3-4年)に入ると、学部の準公式ホームページを管理・編集することで
また新しい発信場所を得ることができた。

会社に入ってからは、楽器のレッスンを始めて、交流を広げることができたし、
最近では業務の中でも、いろいろと発言できる場が広がってきている。

そして 2年前に始めたSNSが自分にとって大切な「場所」であることは、言うまでもない。
今までに出会ったことのない幅広い方々とふれあい、新しい世界をたくさん教えていただいた。
久しぶりに手にしたネット上の発信場所。
実は、私の中ではちょっと懐かしい感覚だったりします。

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新しい自分の発信場所を見つけるたびに、自分が強くなっていく。
あのころ、「人生の本当の楽しみも知らず、朽ち果てていくのか」と考えていた自分が、
いまの私を見たら、どう思うのだろう。

人は、10年もあれば、信じられないほど変わることができる。
次の10年、自分はどう変わっていったらいいんだろう。

10年目の区切りを迎え、
私を支えてくれた、変えてくれた、新しいものを教えてくれた全ての人たちへ。
ありがとうの気持ちで、いっぱいです。


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