輝国山人の韓国映画
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▼韓国プロ野球20年の歴史上,引退投手は,全部で758名だ。その中で10勝以上をおさめた投手は,126人だけだし,1勝以上おさめた投手は,431名だ。残りの327人は,1勝もおさめられずに野球界を去った。
▼1982年プロ野球元年。身長170cm,体重70kg,小さい手,その上左利きのカム・サヨンは,チームに左投手がいないという理由だけで三美スーパースターズの投手となる。
▼名前とは違ってスター選手が1人もいない三美スーパースターズは,開幕するやいな最下位チームという不名誉を抱くようになり,サヨンは,先発登板が一度もなく,敗戦処理専門投手という烙印を押される。チームに敗色が濃くなれば,時をわきまえず出て行く仕上げ投手。相手チームは,カム・サヨンが出てくれば感謝する。
▼そんなサヨンにも一生一大の機会が訪れる。最強チームOBベアーズ,それもOBの看板スター パク・チョルスンの20連勝に王手をかけたゲーム。三美の投手陣は,誰が見ても分が悪いゲームへの登板を互いに譲り合ったあげく,機会はカム・サヨンにやってくる。
▼生涯初めてで最後になるだろう先発登板。たった一度でいいから勝ってみたいカム・サヨンの夢は,果たして実現するだろうか?
1982年,韓国プロ野球の元年当時,最下位チーム三美スーパースターズの万年敗戦処理専門投手(ゲームの敗北が確実な時に次のゲームの投手ローテーションを考慮して登板する交替投手)として活動した実存の人物カム・サヨンを描いたコミック・スポーツドラマ
[制 作 年] 2004年 [韓国封切] 2004年9月17日 [観覧人員] 834,706人 34位(2004年) 韓国映画振興委員会(KOFIC) 年度別ボックスオフィス(韓国映画) [原 題] スーパースター カム・サヨン [日 本 題] スーパースター☆カム・サヨン [日本公開] [英 語 題] Mr.Gam's Victory Superstar Mr.Gam [ジャンル] ドラマ,コメディー [原 作] [Producer] ユン・サンオ 共同プロデューサー:キム・ドンファン [脚 本] キム・ジョンヒョン [脚 色] キム・ヒョンワン,アン・ジェソク [監 督] キム・ジョンヒョン [第1作] [助 監 督] アン・ジェソク [撮 影] キム・ヨンホ [照 明] ヤン・ウサン [編 集] シン・ミンギョン [音 楽] チョ・ソンウ、パク・キホン [美 術] パク・イリョン [武 術] [出 演] イ・ボムス → 投手 カム・サヨン 26 ユン・ジンソ → パク・ウナ リュ・スンス → 投手 イン・ホボン 31 イ・ヒョクチェ → 捕手 クム・グァンオク 22 コン・ユ → パク・チョルスン OBベアーズ 投手 21 キム・スミ → サヨンの母 チャン・ハンソン → パク監督 チョ・ヒボン → カム・サミョン サヨンの兄 オ・スミン → チャン・イラン 女優 パク・ヒョジュ → シン・ヘヨン ウナの友人 キム・ミソン → カム・ミジャ サヨンの妹 パク・チュンソン → オ・トンソプ課長 キム・ファンド → ナ代理 ノ・ジノン → ソ代理 キム・ヒョク → 右翼手 ヤン・スングァン 8 ミョンギュ → 1塁手 チョ・フンウン 3 イ・ジョンジュン → 遊撃手 ホ・ウン 6 チョン・サンジン → 2塁手 イ・チョルソン 5 ヨ・チャンス → 3塁手 キム・グギル 16 キム・ミンソン → 左翼手 キム・ムグァン 7 ペク・トゥビン → 中堅手 キム・ギョンナム 27 クォン・ヒョンジン → 投手 オ・ムニョン 37 イ・ラム → 投手 キム・ジェヒョン イム・ヒョンチョル → キム・ジンチョル チェ・ボンソク → 投手 キム・ドンチョル 29 パク・クンス → イ・ソンドク コーチ 41 ハ・ドクプ → チョ コーチ リ・ミン → シン・ギョンシク OBベアーズ 19 イ・ソンドク → ク・チョンソ OBベアーズ 20 イ・ミョンス → ユン・ドンギュン OBベアーズ 10 キム・ソンフン → キム・ウヨル OBベアーズ 3 ペク・チョルミン → 捕手 キム・ギョンムン OBベアーズ 22 キム・ヒョンス → 遊撃手 OBベアーズ オ・ウンジン → 3塁手 OBベアーズ キム・ジノン → 中堅手 OBベアーズ カン・スンウォン → 監督 OBベアーズ ハム・ゴンス → ペク・インチョン MBC 青龍 キム・ヒョンソク → キム・ソンハン ヘテ タイガース [映画監督] 友情出演 パク・ヨンウ → ノ・サンス ロッテ ジャイアンツ 友情出演 イ・ジョンフン → アナウンサー イ・ビョンフン → 解説者 イェ・ミンジョン → キャラクター女 ウム・ソクチョン → カップル男 ソ・ジョンヒ → カップル女 ハン・デグァン → 相乗客 チャン・ソヨン → ホボンの妻 ホ・ジョンヘ → ホボンの娘 ユ・ギテ → 三美特殊鋼捕手 チョ・ウォンドン → インチョン(仁川)市庁 打者 カン・ジェビョン → インチョン(仁川)市庁 選手 チョ・ジョンヒ → インチョン(仁川)市庁 選手 チョン・ソグォン → バイク男 イ・ヘヨン → 喫茶店レジ キム・テフン → 三美ピケ少年 チェ・ミンス → OBファン少年 ソン・ミンギュ → カメラマン キム・ドリャン → 交通巡査 イ・デヒ → 投手募集志願者1 イ・ギウク → 投手募集志願者2 チェ・ミンス → 投手募集志願者3 キム・サンヒョン → 投手募集志願者4 ヤン・ジェグン → 投手募集志願者5 チョン・ヨンパル → 投手募集志願者6 パク・ヒョンギョン → 投手募集志願者7 チェ・デフン → 投手募集志願者8 チョン・ジュナ → 投手募集志願者9 キム・チョリョン → 投手募集志願者10 字幕外 ペク・ユンシク → [編集でカット] イ・ホウ → アナウンサー イ・テソン → [受 賞] [時 間] 115分 [観覧基準] 全体 観覧可 [制 作 者] チャ・スンジェ,ノ・ジョンユン [制作会社] サイダス [ビ デ オ] ポニーキャニオン(DVD 3,990円)2007/2/2発売 [レンタル] あり [H P] 終了(韓国) 終了(日本) [撮影場所] YKスチール モクトン(木洞)野球場 プサン(釜山)クドク(九徳)野球場 プサン(釜山)テリム(大林)金属 プサン(釜山)トンア(東亜)祭文 ソレポグ市場 アンサン(安山)工業高校 野球練習場 インチョン(仁川)トウォン(桃源)野球場 インチョンドン(仁川東)区 老人福祉会館 インチョン(仁川)チャユ(自由)公園 インチョン(仁川)海事高等学校 チュンドン(中洞)駅打撃練習場 鉄道博物館 [挿 入 曲] 沿岸埠頭
作詞:チョ・ウンパ、作曲:アン・チヘン、歌:キムトリオ 私が
作詞/作曲/歌:キム・ハンネ 夢の対話
作詞/作曲:イ・ボミョン、歌:イ・ボミョン/ハン・ミョンフン We're not gonna take it
作詞/作曲:Dee Snlder、歌:Twisted Sister [制 作 費] 55億ウォン(純制作費40億+マーケティング費15億) [Private ] K-DVD【20】(2,000-2021/05/29) J-DVD(2,993)【20】(3,800-2021/02/27) [お ま け] ・カム・サヨンが所属した三美スーパースターズは,1982年韓国プロ野球元年にイ ンチョン(仁川)をフランチャイズとしてスタートしたチーム。 ・その年,1割8分8厘(15勝65敗)という今でも破られない歴代最悪の成績を残 して6球団中最下位だった。 ・他チームの投手たちは,相手チームが三美と聞けば,自分が出場するといい,ひょん なことで三美が勝った日には,明日は太陽が西から昇るといってあざ笑ったそうだ。 ・1983年,在日同胞出身の投手タヌキ チャン・ミョンブの招聘で一躍3位に上がり 気炎を吐くけれど,あまりに多い登板のため,鉄腕にもひびが入って,三美は,また 最下位に落ちる。 ・結局,三美スーパースターズは,1985年前半期を最後に,チョンボ・ピントス (1985年後半〜1987年)に身売りされ,その後,太平洋ドルフィンズ (1988〜1995年),現代ユニコーンズ(1996〜現在)として命脈をつな いでいる。 ・1982年の三美スーパースターズの不滅の記録 シーズン成績:前期10勝30敗,勝率0.250,6チーム中6位 後期 5勝35敗,勝率0.125,6チーム中6位 (82年他球団平均成績45勝35敗,勝率0.563) 最小得点:302点(82年他球団平均得点395点) 最小ヒット:637打(82年他球団平均ヒット722打) 最小ホームラン:40本(82年他球団平均ホームラン65本) 最小盗塁:74回(82年他球団平均盗塁125回) チーム最多失点:20点(82年6月12日,82年7月10日2度(対三星)) シーズン特定チーム相手全敗:16戦全敗(対OB) 特定チーム相手連敗:16連敗(82年4月15日〜9月16日(対OB)) 国内初サイクルヒット:三星オ・デソク(82年6月12日) 投手連敗記録:12連敗(カム・サヨン 82年月30日〜9月28日) ・カム・サヨン(甘四用,47歳)は,1982年のプロ野球元年に幽霊打線を自慢した 最下位チーム三美スーパースターズに入団し,5年間で1勝15敗1セーブというみ すぼらしい記録を残した選手。 ・職場野球人出身でプロ野球選手になった空前絶後の人物だ。 ・中学校2年の時に野球を始めて,高等学校と大学を経て投手になったが,国家代表や 実業野球選手に選ばれる程の選手ではなかった。 ・大学卒業後も彼を呼んでくれる実業チームはどこもなくて,彼は,慶尚南道のチャン ウォン(昌原)市にある三美特殊鋼に就職した。 ・趣味として職場野球を楽しんでいたが,系列会社でプロ野球が創立されるという報せ に接してオーディションを受け,三美スーパースターズの選手となる。 ・だが,彼が選抜された理由は,単にチームに左腕投手がいないということだけのため だった。 ・投手陣が弱かった三美は,なりゆきで登板して投げていた。 ・カム・サヨンは,1982年の初年度には先発で投げたが,翌年からプロ野球選手を やめるまでの4年間は,一度も先発していない。 ・映画のように敗戦処理投手であった。