「サイレント・ボイス」核廃絶のおとぎ話を愛する

探し求めて幾星霜

LDに限らず,およそコレクションに関わる人であれば出会いの大切さは身にしみて知っている。アンテナにピピッときたらちょっとばかり無理してもそのときに手に入れる−これが大原則である。さもなければ次の機会は永久にめぐってこないかもしれない。後回しにしたばかりに買い損ねて後悔の日々なんてことはザラなのである。

要するに「この次買おう」なんて考えてちゃ泣くばかりということだ。

もちろん財政状況と折り合いをつけなければ悲惨な借金地獄もあり得るが,そもそも道楽というのはそういうものだ。最近のようにカードでの買い物に慣れた世代には克己心のなんたるかを思い知るよい機会になるだろう。克己心なんて言葉まだ生きてるんだろうか?

87年の映画「サイレント・ボイス/愛を虹にのせて」は僕にとってそんな後悔のタネになりかけた1作だ。LDの中古セールや廃盤セールを追いかけてやっと手に入れたのだが,リリース時に「あ,出てるな,よし,この次に買おう」なんて後回しにしたばかりに何年も追い求めることになってしまった1枚だ。

でも実はこの映画,その時点では見たことがなかったのである。

少年は沈黙する

最初にこの作品のことを知ったのはどんなきっかけだったろう。確かラジオでストーリーが紹介されたときにふと心にとまったのではなかったか。

舞台はアメリカ。リトル・リーグのエースである少年チャックはある日核兵器の恐ろしさを知り,世界から核兵器がなくなるまで野球をやめると宣言する。少年の小さな決意はやがてマスコミにより多くの人の知るところとなり,小さな地方都市のささいな出来事は全米をゆるがす大波となってゆく。そして少年の決意に共感し,ともに行動していたプロバスケットボールのスーパースター,アメイジングが謀殺されたとき,全世界は想像もしなかった事態を経験することになる……。

ふうーん,ちょっと見てみたいな。そう思ったのだが既に劇場での公開は終了し,近所のレンタルショップにも見あたらない。機会がないまま日が経ってだんだん記憶も薄れていった。だからリリースされたLDを店頭で見たとき「ああ,これがあのときの!」と思ってちょっと喜んだのだが,いつでも買えると安心したのが運のつき。失敗だったなあ。

大統領は苦悩する

数年後,紆余曲折の末やっと廃盤セールで手に入れたこの映画,静かな感動が満ちてくる佳作であった。少年の沈黙の抗議がやがて核大国の扉をさえ開かせてゆく展開はおとぎ話そのものではある。そんなうまい話はあり得ない。だけど感動する。人々の願いを描いているからだ。

チャック少年はいかにもアメリカの悪童っぽい風貌で,核兵器の悪夢におびえる繊細な子供という感じではないのだが,線の細い少年ではないところがかえってよい。僕はデリケートですと全身で言っているようなキャラクターより腕白少年の方がこの話にとってはリアルだ。

グレゴリー・ペック演ずる大統領もなかなかいい。一国民の願いと真摯に対峙するというアメリカ大統領の理想を演じようとした彼が,少年の決意の強さに引きずられて徐々にムキになっていくところが面白い。わずかばかりのミサイル削減や軍備縮小案で少年をまるめこもうとする大統領。核大国の首長でもある彼にとって,チャック少年の納得を得ることがまるで神の免罪符でもあるかのようだ。

ただの人気取りのポーズから真剣に核軍縮に取り組まねばならなくなる大統領のキャラクターを見ていると,あの国が大統領という存在にいかに多くのものを望んでいるかがよくわかる。

だからチャック少年にとって同志であり戦友でもあったアメイジング謀殺の黒幕に対して,大統領自らが力をふるったときのカタルシスというのは快感だった。大統領はあの国にあって正義の執行官でもあらねばならないのだな。

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この映画はたぶん大傑作でも大名作でもない。ファンタジーでありながら派手なSFXも大きな仕掛けもまるでない。にもかかわらず,心の奥で平和の尊さを静かに訴え続ける作品である。サイレント・ボイスというタイトルは安直かもしれないが,今となっては不思議と深いものを感じさせる。

映画の冒頭には「これはおとぎ話です」と宣言しているようなフレーズがある。現実はそんなに甘くはないことは誰でも知っている。それでもこの映画を見終わった後のすがすがしさは本物だ。

おとぎ話でもいいじゃないか。