「毎日が夏休み」にお休み気分の夢を見た

うれしいと言えるのがうれしい

とかく企画が貧困だのセンスが悪いだの予算がなくてしょぼいだのと言われがちな日本映画だが,それでも大切にしておきたい作品の一つや二つは誰にでもある。それもデラックスな娯楽で満足させるハリウッド映画と違って,もっと身近な思い出の中にしまっておきたい……そんな感じの「好き」が似合うのが邦画の世界だ。

外に向かって声高に叫びたくなるのがハリウッド映画の面白さとするなら,自分だけのひそかなお気に入りとして内に宿るのが邦画の面白さだろうと,まあそんな風に考えることもある。例外もいっぱいあるだろうけどね。

実際,僕の好きな「時をかける少女(もちろん原田知世の)」や「野蛮人のように」や「さびしんぼう」といった佳品はどれもこのタイプだと思っている。もちろん感動や思い出の質はそれぞれまた違うんだけど,共通しているのは「この映画が好き」と言えることがとてもうれしいってことだ。この気分はなかなかいいもんだよ。

金子修介監督の「毎日が夏休み」も僕にとってそんな気持ちのいい映画の一本だ。このささやかな世界には邦画の身の丈に合ったシアワセが詰まっている。だからうれしい。うれしいと言えることがうれしい。映画ファンにはなぜか他人の評価が気になって仕方がないという人が多いが,自分の「好き」や「うれしい」にはもっと自信を持っていいと思うぞ。

父娘の会話が楽しいのだ

主人公の林海寺スギナはいきなり「今日も元気に,登校拒否だ!」という一風変わった元気少女だ。中学生なのにかなり達観しているところがあって,学校ではいじめに遭っていてもひ弱さとは無縁の精神的なたくましさがある。一方,父の成雪も変人一歩手前の繊細なのか図太いのかわからない個性の持ち主。両親ともに再婚で成雪はスギナの義父である。この,血のつながってないところが二人の絶妙な距離感になっていて実に楽しい。

何といっても二人の会話,そのダイアログの面白さで冒頭から引き込まれてしまう。例えばこんな感じ。

元気に(見せかけの)出勤と登校で家を出た二人。それぞれどうやって一日をつぶそうかと考えながら偶然にも同じ公園で弁当を食べている。二人は小さな茂みをはさんで隣り合っているのだが気がつかない。だがふと横を覗き込むと……。

「お父さん!……こんにちは」
「スギナか!」

この状況で「こんにちは」というリアクションがそもそもヘンなのだが,ここはスギナと成雪のキャラクターを印象づけるケッサクなシーンである。

「会社は?休みですか?」
「いや,会社は……辞めたんだ」
「ええ!? どうして」
「向いてないからだ」
「だってその若さで次長になって出世コースでしょ。嫌なことでもあったんですか?人間……関係?」
「いや,会社はよくしてくれたしいい人ばっかりだ」
「じゃあなんで辞めたんですか。お母さんには言ってないの?」
「時期を見計らって言おうと思っていた」
…………

両者のほとんど対等なやりとりが,マジメに即答する成雪役の佐野史郎の個性もあって妙におかしい。あれ,このお父さんと娘,ちょっとヘンかも,とこの時点で見てる方はもう二人の組み合わせが普通じゃないことを予感できるのだが,要するに普通の父娘のような,血が近すぎるゆえのなれ合いやうとましさがこの二人にはないのだ。

こざっぱりとした彼らの会話は言ってみればお芝居のセリフそのもので,現実にこんなしゃべり方をする親子はそうそういないだろう。だけど映画という限定世界の中では,そのちょっぴり他人行儀な口ぶりが二人のキャラクターに合っていてとても気持ちいい。

負けないおとぎ話もあるのだ

今,僕たちを取り巻く現実はうんざりするほど冷淡でギスギスしてて悲惨なことばかりだ。そんな日常を強いられているというのに今さら映画館まで出かけて冷たい現実を見せつけられるなんてまっぴら……だからひと時の癒しや慰めを求めてファンタジーや泣けるラブストーリーにお客が集まっても不思議ではない。

この映画だって途中いろんな波乱はあるけどハッピーエンドの幸福なおとぎ話になっている。世の中には,現実世界の容赦なさに対してこういう映画の楽観的な慰めをひ弱な逃避と考え,否定する人がいる。

でもそうじゃない。

こういう映画には辛い現実を腕ずくで押し戻すような力強い幻想はないけれども,いくつものシーンが心に残って柔らかいクッションになるような,そんな趣きがあるのだ。だから,例えば映画中盤にスギナと成雪の二人がいろんな仕事で奮闘するシーンがあるが,思い出してはちょっと微笑ましくて心が軽くなる。これはずいぶんたいした効能じゃないかな。

ほのぼのシアワセな,夢のような夏休みの思い出。現実にはまずあり得ないおとぎ話。それでも観客を捕らえたままにせず,ちゃんとこちら側へ送り返してくれる。そういうところにこの優しい映画の姿勢の良さみたいなものを感じて僕は好きだ。

メイキングも本編のうち

この映画の一番の魅力は,何といってもこれがデビューになるスギナ役の佐伯日菜子だ。可愛いんだけどちょいとエキセントリックでもあり,次にどんな反応が返ってくるかわからない感じで目が離せない。

彼女はナレーションというかモノローグで物語の進行役も務めているのだが,その妙にテンションの高いしゃべりが(下手なんだけど)聞いてるうちにだんだん快感になってくる。中学生にしてはやけに大人びた表現とボキャブラリーで,たぶんそれは脚本の最初からの狙いだろうが,その微妙にアンバランスなところが面白い。モノローグに比べるとセリフの方はもう少し落ち着いているのだが,言葉の切り方や抑揚にちょっと個性があってなんだか聞いててこそばゆい。

スギナは元気少女ではあるけど体温が低めというか激するところがない。年相応の幼稚さからはもう抜け出ているようで,自分の窮状をジョークにできるたくましさを持っている。そんな女子中学生が主役なのだから演出も難しいと思うのだが,さすがに金子監督は女の子を撮るのが上手い。見終わった頃には誰もがすっかり彼女のファンになってしまっているはずだ。

僕は古いLD版しか持っていないのだが,巻末には佐伯日菜子にスポットを当てたメイキングがついていて,これがまたいいんだ。彼女が本編の雰囲気そのままにナレーションをやっているせいで,このメイキングまでが本編の一部のような気分を備えている。だからこれからご覧になる方はこのメイキングまで含めて「毎日が夏休み・完全版」だと思っていただきたい。

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その後の彼女は「エコエコアザラク」の黒井ミサがハマり役になって,以後すっかり怖い系の女優さんになってしまった。正直,かなり複雑な気分。僕もエコエコの彼女は好きだったけど,この「毎日が夏休み」のようなお客さんをほのぼのシアワセ気分で包める少女スターは今の邦画界にほとんどいない。本音を言えばこっちの路線でその後の彼女を見てみたかったなあと今でも思っている。

公開から10年,ふり返れば予告編の頭に流れる数々の賛辞はそういった思いを代弁しているようにも思えるのだが。