働く子供、路上の子供(2)
〜一生懸命乞う姿から〜


乞われた経験の中で、特に強烈に思い出すのが、1992年11月のベトナム。早朝ホテルを出て、ひとりの少年と何気なく目が合った、次の瞬間でした。少年がもの凄い勢いで、私に向かってきたんです。少年がいた位置は、車道を挟んだ斜め向こう側。しかも、少年は荷車を引っ張っていたのです。その荷車には、手も足もなく、首が曲がった子供が乗っていました。その荷車ごと、私をめがけて、全力疾走してきたんです。あまりの勢いに、荷台の上でバランスを崩して転げる子供が目に映りました。

彼らは兄弟だろうか? 親は何をしているのか?・・いろんな想像が頭を駆けめぐります。同時に、彼らに安易にお金を与えて何か解決するのだろうか、この国の問題なのだ、そう思うことで、逃げ出したことを納得させる自分がいました。また、彼らに対して、何をされるかわからない、という偏見と恐怖を持っていたことも現実でした。

普通は、そんな光景から、自分が目を背ければ、それ以上見なくてすみますよね。しかし、あの少年は、荷車ごと私の視線に入ろう、入ろうと動くのです。目を背けても、逃げても追ってくるんです。あの少年が、あの子を見せ物にすることで、乞おうとした事実だけが、私に重くのしかかっていました。

彼らにどう接したらいいのか答えがでない私に、94年、印象深い人、出来事に遭遇しました。場所はモロッコのマラケシュに向かうバス。名前はあとから知るのですが、ケーコさんという日本人です。彼女は堂々と、物売り物乞いの子供たちに包囲され、自分のバックを開け、あげられるものはあげる人。私はバスの中から、それをアブナイ!とハラハラしながら見ていたのです。しかし、それから私が見た光景は、何か小さなお菓子のようなものを貰った子供たちが、ペコンと頭を下げて、笑顔でお礼を言う姿だったのです。

その後、私はケーコさんに声をかけ、マラケシュの街を一緒に歩いたのですが、彼女は事あるごとに、物乞いしている人にしゃがんで、自分から近づいて、何かを渡していました。貰ったアメ、朝食で使わなかったジャムやバター、食べきれなかったパンやおかず・・。あげる人は選んでいるようでした。そして、何かを貰った時、石のように動かなかった彼らが、頭を上げて、何度も頭を下げ、やっぱりありがとうと言うのです。もっとくれと要求することなく、笑顔を見せるんです。私は、物乞いの笑顔を見たのも、物乞いにこんな風に接する人に出会ったもの初めてのことでした。

少し前、あるホームページと出会い、1冊の本と出会いました。ベトナムのフエという町で、元ストリートチルドレンたちの暮らす家「子どもの家」のページで、本はその「子どもの家」を作った日本人、小山さんが書いた「火焔樹の花」です。内容は、
12歳の少年が、ストリートチルドレンだった時のの日常と、「子どもの家」に入ってからの成長。また、ストリートチルドレンが生まれる背景や社会や、子どもたちの心の傷。小山さん自身が、ベトナム社会の中で翻弄されながらも、子どもたちの笑顔をに支えられて頑張ってきた軌跡・・。その中に、私が知りたかった、路上の子どもたちが、与えられた厳しい環境の中で、精一杯生きる様がありました。

主人公の少年が、仲間と物乞いに出かける支度をする時のことです。彼らの生きるすべはゴミ拾いなんですが、ゴミがどうしても十分拾えず、お腹が減ってしょうがない時は、物乞いにでかけるのです。一番ボロの服を着、大きなコップをもち、赤ちゃんを借りに行く。赤ちゃんを抱えているのといないのとでは、もらい分がかなり違うからだと。そして、ただただ悲しい顔をするんだと・・。赤ちゃんを借りるのは有料です。赤ちゃんを貸すお母さんもいくらかのお金をもらえるわけです。

私は、ベトナムのあの少年を思い出していました。手足のない自分の弟を見せ物にして、という重たい考え方が、変わっていきました。彼らは、それぞれができることを分担して、助け合って生きている。ちゃんと、仲間や周りを思いやり、生きるために、一生懸命乞うている・・、そう思えてきました。

トップページに戻る
メールはこちらへ!