陸路のちょっといい話


 陸路っていいもんだなあ・・
としみじみ感じたのは、インドのカルカッタから、列車とバスを使って、デリーまで旅したときのこと。あたたかい出逢いがたくさんありました。

 最初の移動は、カルカッタからバラナシまでの1泊2日の夜行だったのですが、ちゃんと乗ることができるかドキドキものだったことを思い出します。
 キップは2等寝台で、泊まっていた安宿のおやじに手数料を払って手配を頼んだもの。でも、うさんくさい?ことに、車両と座席番号が未記入のままです。それをおやじはこう説明しました。
「列車が入るホームの掲示板に、予約の名前が張り出されるから、それを見て車両を探すんだよ」と。
「それっていつ張り出されるの?」
と聞くと、その列車が入ってくる“直前”だと。列車はすぐ出発すると言うし、なんていっても人口の多い国ですから、ホームはたくさん人でごった返しているだろうし、 それに、掲示板に自分の名前がなかったら、どうしよー・・です。
 不安はつきないまま、いよいよバラナシへ向かう時間が近づき、駅に入りました。掲示板に予約リストが張り出された時は、人だかりでもみくちゃです。自分の名前を見つけて、ホッとするのはほんの一瞬、走らなければいけません。おまけに列車はやたら長いし、各車両は通路でつながってないし、“とりあえず乗って探す”ってわけにはいかないんです。

 やっと車両を見つけて乗り込んで、自分の座席番号を見つけた!と思って入ると、なぜか、たくさんのインド女性と子供たち。「ゲッ! 席・・ない・・」私の困った顔を見たひとりの男性が、手に握りしめていたチケットを見てくれました。そして、ここでいいんだよ、と言い、3段ベッドの一番上に荷物を置いてくれたのです。
 その男性は、彼女らの荷物を棚に上げ終わると、列車を降りていきました。“席取り代行人”ってトコでしょうか。インドの列車は、いつもとても混んでいて、大きな荷物を持ってる人や、子連れの女性などのために、席をとってあげる仕事というわけです。入ってくる瞬間の、まだスピードのある列車に飛び乗るのですから・・体張ってますよね。
 3段ベッドがふたつのコンパートメントは、6人用のはず。それなのに、人の頭は、私以外に10コ。座るところなどあるはずもなく、まるで荷だなのような寝台に上りました。座ると首から頭がつっかえるので、寝るしかありません。普通昼間は中段をたたんで、下段に6人が座って過ごすようになっているのでしょうが、なにせ・・10人ですから・・。こんな具合で、彼女らと一緒に旅は始まりました。

 初めは彼女らは、もの珍しそうに、様子を伺うように私を見ていたのですが、そこは長距離列車のいいところ、一晩共に過ごす仲間であり、共通の目的地に少しづつ向かっている安堵感・・で何となくどちらともなく、微笑むことから始まりです。そして持参していた食料を分けたり、水筒のチャイ(ミルクティ)を貰ったり。そのうち私は交代して下段でみんなと過ごす時間がふえていきました。
 駅に停車すると、待ってました!とばかり物売りたちが乗り込んできます。ほとんどが小中学生ぐらいの男の子です。ここではその年齢の子供も一人前に働いているのです。食堂車がなくても、こうして、庶民的な食べ物に出逢えるわけです。
 夜、私は昨日買ったサリー(女性のインド服になる布)の包みを取り出しました。寝袋がわりに買ったものです。サリー屋のおやじが、ちゃんと包装してあげるよ、と言うので任せると、すぐ横の路上ミシン屋にわたり、ボロッちいハギレでキャラメル包みにした後、なんとミシンをダダッーとかけたのです。やけにコンパクトになったものの、中のサリーまで縫われてしまいました。それも予想以上に、大幅に貫通している様子。破かずには取り出せそうにありません。せっかくのシルクが台無しだあ・・とがっかりしてしまいました。  すると、それを見ていた1番年長のおばあちゃんが、
「ちょっと貸してみい・・ほれほれ」
と言った感じのジェスチャー。おばあちゃんは髪から1本ピンを取り、丁寧にほどいてくれました。もちろんハサミはないし、そのピン1本で、サリーは無事に包みと離れることができたのです。ものすごい器用さだとびっくり。
「ありがとう!スゴイね、上手!」
と感動する私に、おばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして笑いました。
 翌日の朝、大きな河が見えてきました。聖なる河ガンガーです。彼女らは「ガンガー、ガンガー」と微笑みあい、声をあげ、河にさしかかる瞬間に一斉にコインを投げ入れました。そして祈り・・。なんだかお賽銭みたいですね。彼女らは最高にうれしそうです。

 こうして私は、たくさんのヒンズー教徒が巡礼に訪れる、聖なる町にたどり着けたのです。

 もし時間があったら、是非陸路での旅をしてみませんか。外国の列車の席は、ほとんどが向かい合わせです。長距離バスは、食事や休憩の都度どこかに止まることになります。これが、言葉に自信のない私にとって、いつも貴重な出逢いの場になってくれました。世界一周の時は、大いにこれを利用して“初めての町”への不安に縛られることなく、進めたように思うからです。

トップページに戻る
メールはこちらへ!