モンゴルがくれた贈り物
前3回にわたって書いたウランバートルでの苦労は、あらためて、出会いにムダはないんだな、と思わせてくれました。といっても、無事に中国行きの列車に乗れてしばらく時間が経過してからのことですが・・。
私は、こんな風に、いくつもの国から国へと旅を続けているうちに、いつのまにか、誰かが助けてくれることを、親切を受けることを、期待するようになっていたのだと思います。一生懸命自分がやった結果、それでもダメで途方にくれた、のではなく、最初っから、誰か助けてくれそうな人がいないかとキョロキョロ。期待通りにいけば、あーよかったで終わりです。でもその出来事は、自分の中で<それで当り前>という土台を固めてしまうように思います。当り前からは感動も、あたたかい感情も生まれないのです。私は、やっぱり感動していたい・・。旅の終わりに大切なことを教えられました。
とはいえ、、なんで、あのホテルの女性はあんなに冷たかったのか?と思うでしょ。私自身も府に落ちなくて、帰国後、本やさんで地球の歩き方をめくってみました。特にはそれに該当する体験など載っていませんでしたが、ロシア系のホテルでは社会主義の名残が泊めてやってる!んだよ、という社会主義の名残と納得しました。もう今ではずいぶん違っているでしょうから、貴重な体験できてよかったのかもしれません。
また、10月のウランバートルには冬がきていました。朝晩は水たまりが氷っているのです。きっと観光シーズンが終わっていて、季節はずれの変なガイジンと思われていたのかも。当時の地球の歩き方の体験談はほとんど夏でしたしね。ホテルにフロントがないなんて!とどーなってんの?と思ったけれど、あの隅の布で覆われた物置のようなところがそうだったのかも、と思います。観光客がいなければ、従業員だって少なくするだろうし、外国人のための国際キップ売り場が消えていたのも当然のことかもしれません。
ホテルライフはさんざんでしたが、いや、ひとつだけ、優しい出会いがありました。チェックアウトのとき、キーをどっかに戻せといわれて困っていたら、助けてくれたおばちゃんです。そんなことさえ教えてくれないホテルの女性にモーレツに頭にき、迫りくる列車の時間・・・、おばちゃん、さぞびっくりしたでしょうね。ははは!
駅でキップを買うのには七苦八苦しましたが、そのときもひとりだけ、私の存在を気にかけてくれる女性がいたのです。その女性は、窓口でなく、キャッシャーの方の担当だったようで、時々、目があうだけなんですが、あまりに無関心な人達の中、彼女の視線だけが私を勇気づけてくれました。
また、旅行社では、キップの代行はできないといわれ、ガックリする私にこういってくれた男性がいました。「アナタが言いたいことを、モンゴル語で書いてみましょうか」と。
私は、たくさんの親切を浴びていたのです。でも他のことに心を囚われていて、感謝することを忘れていました。感動につながるか、つながらないか、自分次第なのだと痛感しました。
友達になったアルターとは、街や博物館を案内してもらったり、食事をしたりで、楽しい時間を過ごしました。
「今の大学で日本語をちゃんとマスターして卒業したら、次は経済大学に入るんです。経済は、今この国に一番重要ですよねっ」
「私は、この国が資本主義を取り入れてくれてうれしいの。だって頑張れば頑張っただけ自分が豊かになれるんでしょ!?ねえ、日本は何でもあって豊かで幸せでしょ!」
彼女は目をキラキラさせながら、私に問いました。
この街には、驚くほど、物資も便利なものもなかったのです。また、外国人として最初に触れることになる、ホテルや駅、店員さんなどの事務な冷たい対応にも驚くばかりでした。それでも、私は、この街にとてもひかれるものがありました。それは、この殺風景な街に日本の戦後がだぶる思いがしたのです。もちろん、私は、戦後の生活を知らない世代です。それなのに、こんな風であったのではないか、と。
ひな段の高いところに並べられたテレビをずーと見上げて、心をひとつにする家族。あったかそうな
上着を合わせてもらう子供のあの喜びよう。日本とは何かが違うのです。豊かさって一体なんなのだろう・・、私は考えさせられました。
アルターとは翌日、連絡が取れなくなってしまいました。翌々日に彼女の友人たちとピクニックに、と約束していたのですが、連絡はないまま。唯一私から連絡取れるアルバイト先もお休み。ちゃんとお礼も言えずに、この街を出発しなくてはならなくなりました。
その後、中国を経て、旅を終えた私に、うれしい便りが届いていました。アルターです。「風邪で高熱が出てずっと寝込んでしまいました。ピクニックの
アルターと逢わなければ、早々に出国していたかもしれません。もっとこの街を知りたいとくなりました。そしてもうひとつ、この街にひかれるところがあったのです。それが、のすばらしい優しさや、日本に対する興味を聞いて、私はあちこち歩き廻るうちに違うものが、そうたくさんの素朴な笑顔が見えてきたのです。